ピチョン、ピチョン…

水滴が硬い平面を打つ音が、遠くの方から聞こえてくる。

ピチョン、ピチョン…

黒い闇が少しずつ晴れ、視界がおぼろげに輪郭をとり始める。

ピチョン、ピチョン…

目が完全に開いた。

そこは一瞥して廃墟と分かるような場所の内部だった。暗い室内、用途不明の鉄パイプや角

材等の建築資材の切れ端のようながらくた、めくれあがった床や塗装の剥げた壁に、唯一天

井の隙間から光が差し込む。聞こえていた水音は、溜まった雨水が落ちているのか、天井の

隅から滴っている。

ぼうっとそこまでを見渡して、ツナは記憶を呼び起こそうとした。

今日は珍しく一人で帰宅することになった。山本は部活だし、獄寺は教師から呼び出しがか

かったとかで一緒には帰れなくなってしまった。獄寺は何が何でもお供しますと言っていた

が、ではそのためにどうするのかといえばおそらく暴力的な何かが起こるに違いなく、おと

なしく職員室に向かってほしいというツナに、十代目のためなら、とさすがの彼も折れた。

帰り道、いつも通りランボやイーピンやその他諸々のトラブルメーカー達に会うことを覚悟

していたが、それもない。なんて平和な帰り道…と、家まであと角を一つ曲がるだけだった

はず。

 

――あれ、オレなんでこんな所にいるんだ?

 

そう考えた瞬間、突然身体のいたるところの感覚が戻ってくる。真っ先に感じたのは、手首

の痛み。

 

「…っつ」

 

そして自分がどんな体勢でいるのかということがようやく理解の中に入ってくる。床に座っ

て、両手を上に挙げて…

 

「…え゛」

 

自分の真上を見上げる。天井から吊るされた鎖、その末端の手錠に、ツナの両手首は捕らわ

れていた。

 

「うわあああっ!?」

 

思わず声を上げてしまう。

幸いなことに全体重がかかっているわてではないので、手首はそこまで痛くない。ただやは

り寝転がるほどの余裕は与えてくれない。

 

『なんだよコレ何でこんなことになってんの?ってかココどこだよひょっとして並盛じゃな

いのか?それにしても手首に少し手錠の痕が付いちゃってるから結構長い時間閉じ込められ

て…って閉じ込められる!?オレ拉致された!?あ…いやこういうのは誘拐っていうのかな

…って誘拐!?』

 

さっきまで思考がぼんやりしていた分、いったん考え出すと止まらないようである。脳内で

大混乱を引き起こしつつも一つひとつの物事に対して平等にツッコミを与えているあたり、

さすがツナと言えるだろう。

記憶をまた辿ってみる。家の手前の角を曲がろうとしたら…後ろから口に何か押し当てられ

て、すると急に世界が真っ白になった…って

 

「これって誘拐の常套手段じゃんか…」

 

がっくりと、今は手錠のせいで落とせない肩を落とす。

顔を上げてもう一度周りを見渡す。正面の位置にボロボロの鉄扉。この部屋には窓はなく、

微かに天井から漏れる陽光が唯一の光源だった。

 

――逃亡は絶望的、かな…。

 

ため息をつく。いったいここに着てからどれほど経ったのか、誘拐ならば何が目的なのか…

疑問はつのるばかりだが、問う相手もいなければそれも出来ない。…いや、獄寺あたりなら

両手が使えなくとも足でダイナマイトに着火させて爆破くらいしそうなものだが。

すると、

ぐ〜…

 

「あ…」


腹の虫が音を立てた。その事実に気付いた途端、急に腹がへり始める。少なくとも今は気を

失ったその日ではないようだ。その翌日くらいだろうか。

色々考えを巡らしていると

ご、

鉄扉が少し音を立てた。

 

「…」

 

息を飲む。

ご、ごご…

いかにも重そうな音でもって、扉が全開になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「十代目はっ!一体どうなされたんだあーっ!?」
「落ち着けよ獄寺!叫んだってどうにもならないって」
「これが落ち着いていられるか!昨日学校でお会いしたのを最後に十代目がお宅に帰って
らっしゃらないなんてオレのせいだ!あの時やはり教師共を吹っ飛ばしてお供するべき
だったんだ!ああ〜十代目ええぇ〜」
 
ツナの部屋で雄叫びを上げる獄寺と、それを抑えようと努める山本。二人は今朝ツナのマ
マから連絡を受け、血相抱えてやって来たのだ。
即ち――昨日ツナが帰って来なかった、と。
よく考えてみればそれなら夜の内に連絡すべきではとも思えるのだが、奈々ママは友達
の家に泊まっていると勘違いしたのだという。ならば獄寺か山本に違いないと電話してみ
ると二人ともきょとんとするばかり。
うろたえる奈々ママをなだめてから、二人はツナの部屋でああだこうだとツナの身を案じ
ている訳だ。
 
「うう十代目。やはり十代目は可愛らしいから巷の野獣が放っておくはずが!もし、
もしも十代目に何かあったらオレは!」
「大丈夫だ!そんな嘆く暇があったらツナがいそうな所とか考えろ!絶対助けてやるんだ
よ!」
 
なんかもうツナは拐われたことにされている。いつもの不幸っぷりで事件に巻き込まれた
とか、リボーンの修行に行っているとか、そういう発想は皆無らしい。
 
「わ〜ツナが拐われちゃったのか?どーしよぐぴゃあ!?」
「お前は黙ってろ!」
 
事態をが分かっているのかいないのか、わけもなくわたわたと部屋じゅうを走り回ってい
るランボに獄寺は拳を叩き込む。
 
「獄寺、ちょっと落ち着けって
 
それ以上の暴力を山本が止めようとした時、部屋の窓がカラカラと開く。目をやった二人
の前にいたのは、
 
「ヒバリ!?」
 
並盛で一番恐れられている、言わばこの町の秩序。雲雀恭弥その人だった。
慣れた手付きで窓枠を跨いで部屋の中へ侵入し、驚愕で固まっている獄寺と山本を完全に
無視し、きょろきょろあたりを見回す。その間もランボはあちこちを走り回っていた。探
しものが見つからなかったのか、ようやく二人に無表情な目を向ける。
 
「綱吉は?」
「あ、いやツナは今
 
状況を説明しようとした山本を、獄寺は手で制し立ち上がる。
 
「・・・獄寺?」
「オイ、雲雀、もしかしてお前が十代目を拐った犯人じゃねえだろうな」
 
今にもダイナマイトをぶちまけそうな険悪な顔の獄寺に、雲雀は眉間に深くしわを寄せる。
 
「拐われた?どういうこと、それ」
「昨日から十代目のお姿が見えねえんだ。お前何かと十代目に執着してやがるだろ。もし
かしてお前!」
 
雲雀は軽く息を吐くと、獄寺をあまり感情のこもっていない瞳で見た。
 
「残念。僕は赤ん坊に呼び出されただけだよ」
リボーンさんに?」
「ああ」
 
目を見開いた獄寺をしりめに、雲雀はツナのベッドに座って腕を組む。窓の外に視線を移
し、二人にはもはや目もくれない。獄寺が何か言いたそうに口を開き、閉じ、また開き閉
じして、浮かせていた腰をしぶしぶおろすのを横目に見つつ、山本はしみじみと思った。
 
――あれ、でも雲雀のヤツ、部屋に入った第一声はツナのことだったような。
 
妙に鋭い山本のツッコミはしかし、声として出されることはなかった。
 
……
……
……
「ツナ〜どこ〜」
 
妙な沈黙が流れる。と、
 
「お〜いツナ〜。いるか〜?」
 
のんびりした声とともに、部屋の扉が開いて入ってきたのは金髪の青年。
 
「ディーノかよ!?」
 
獄寺はなにがなんだか、と頭を抱える。
 
ディーノは部屋の中をぐるり、と見渡す。
 
「ツナは?リボーンに呼ばれたんだけどよ」
 
――だったらまず「リボーンは?」って聞くべきなんじゃないの?
 
山本のツッコミは相変わらずごもっともである。
突然の訪問者それもあまり好きな二人ではないので、獄寺はイライラしつつも口を開く。
 
「わかんねえよ!昨日学校で別れてから家に帰ってないって。帰り道で知り合いにも会
ってないみたいで、手がかりも何も
「おや、それは心配ですね!」
「!?」
 
四人は声のした方向へ目を走らせる。壁に寄りかかって怪しげな微笑みを浮かべているの
 
「六道骸!?」
 
山本の驚愕の声を聞きつつ、獄寺は崩れおちた。
 
「なんでお前までいるんだよ!」
「そうだよこの外道。早く帰ったら?」
 
雲雀の睨みも嫌味も軽くスルーし、骸はクフフ、と一笑い。
 
「僕は綱吉くんのいる所なら何処にでもいるんですよ。何せ運命共同体ですから
 
満面の笑みで言ってくる骸に、
 
『コイツ殺してえ
 
と、一瞬他の四人の利害が一致した。が、それは実行されなかった。
 
「ちゃお」
「リボーンさん!」
 
いつの間にかテレビの上に、足を組んでリボーンが座っていた。
 
「リボーンさん、十代目は一体
「お前知ってるんだろ?教えてくれよ」
「そんな話全然聞いてなかったんだけど。早く綱吉出して」
「リボーン、オレもツナに用事があるんだよ。修行見てやろうかと
「クフフ、綱吉くんはどこなんです?黙っていてもいいことありませんよ?」
「ツナ〜どこ〜ふえええっ!」
 
泣き出したランボに獄寺が無言で蹴りを入れる。ランボ大絶叫。と、ランボは髪の中から
十年バズーカを引っ張り出した。
 
「ぴぎゃあああ!」
 
ガンッ
煙が立ち込めて現れたのは、十年後のランボ。頭に手をやり乱れた髪をなでつけ、ふぅと
息を吐く。
 
「またですかしょうがありませんね。ボンゴレ、お久しあれ?」
「ツナの居場所だが」
 
一連のランボの動きは視界の外に追いやり、他の五人はリボーンを見つめる。
 
「実はまだ分からねえ。だからお前らを呼んだ。あいつは次期ボンゴレボスだ。いつ狙わ
れても不思議じゃない。だからまたこういう事態が起こった時のためにも、今から手分け
してツナを探し出せ」
「ハイ!俺が必ず十代目を
 
獄寺が右手を勢いよく挙げた瞬間。
ぶおおおお、とプロペラ音を立て、窓から何かが入って来た。ラジコン式らしいヘリコプ
ター。大きさはさほどでもない。
それは円を描きながらテレビの上に降りてくる。もちろんリボーンはヒョイッとテレビか
ら飛び降りた。
このタイミングだ。ツナに関する何かであることは間違いない。
ヘリはテレビに着陸すると、内部から無数のコードが飛び出して、テレビの側面に突き刺
さった。大きなひび割れた電子音。
 
……
 
画面に一人の男が現れた。表現するなら、見事な悪人顔。目はギラギラしているし、不精
髭なんか生やしているし。格好が黒ずくめとくれば、もう怪しさ満点である。
リボーンがテレビの真正面に陣取る。獄寺達もテレビに近付いた。
 
『やあ諸君!ご機嫌いかがかな?』
 
画面内で男が笑う。
 
『初めまして俺はあるマフィアのもんだ。この度は格式と伝統あるボンゴレファミリー
に、ちょっと頼みがあってこんな通信を送ってる』
「頼み?」
 
山本が男を睨みつける。
 
『単刀直入に言えば、ボンゴレがイタリアに持っている武器の隠し倉庫その場所が知り
たい。今から一時間後にまたあのヘリをやるから、その気になったらメモでも付けてくれ。
なに、悪いようにはしないさ。ただうちのカルパッチョファミリーも、力を付けたくてね』
 
獄寺が慌ててリボーンに寄る。他のファミリーの名が出た以上、状況は緊迫化するはずだ。
 
「り、リボーンさん、カルパッチョファミリーって
「知らねえな。どうせ三流だろ。名前もおかしいし」
 
なんか散々な言われようである。
ディーノも顎に手を当ててう〜んと唸る。
 
「名前は知ってるな。だがそんな大きなマフィアじゃないだろ。やってることと言えば軽い
暴力事件や法定ギリギリのクスリぐらいだ」
「じゃあ何でこんな要求をいくら武器の隠し倉庫の場所を知ったからって、相手にならな
いのに」
 
獄寺のもっともな発言に答えるように、画面の中で男がにやり、と笑う。
 
『まあ今まであまり大きな事はしてこなかったからな。疑問に思うかもな。だがもはや時代
は我々カルパッチョファミリーのもんなんだよ、ボンゴレのガキども。お前らの知らない所
で色々と手を結び、気付かれないよう規模を着々と広げてきた。今俺達が立ち上がれば、ボ
ンゴレだってひとたまりもねえんだよ』
「なにをっ!」

『おおっと、威勢のいいのは嫌いじゃないが…』

 

男はあごをクイ、と上げる。それが合図だったのか画面が動き、男の背後にいた人物を映し

出す。

 

「!」

『み、みんな…!』

 

そこにいたのは紛れもない、我らがボス、ボンゴレ十代目沢田綱吉の姿だった。

ただ、なんというか…いろいろヤバいことになっている。

天井から伸びた鎖で捕らえられた両腕。女の子みたいにぺたりと座り込み、暴れたのだろう

か、胸元を中心に服装が乱れて微かに肌が見えている。先ほどまで眠っていたせいか普段よ

りも瞳がとろんとして艶っぽく、恐怖で浮かべたおびえた表情…。

途端、テレビ画面の前でツナマニア達が崩れ落ちる。その様子を見てぎょっとするツナ。

 

『ちょ…みんな!?どうしたの!?』

「じゅ、十代目…すみません、ちょっとこれは…」

 

鼻血を必死に拭き取りつつ、獄寺は画面に向き直ろうとし…また卒倒しかける。その姿に、

ツナの顔が青くなる。

 

『獄寺くん!?』

「ダイジョブだ、ツナ。いろいろ刺激が強すぎただけ…って俺もちょっとヤバいかも…」

『山本まで!』

 

骸がギリリ、と唇を噛み締める。

 

「何やらせてるんですか綱吉くん!君にそういうことしていいのは僕だけですよ!?」

『何言ってんだお前!って…何で骸がウチにいるんだよ!』

「僕と君とは運命共同体ですからね♪」

『ワケわかんないよ!』

「そういうのが趣味だったわけ?言ってくれればいいのに」

『ひ、ヒバリさん!?って趣味ってなんですか趣味って!?』

「誰よりも縛り付けてあげるんだけどね?」

『……ヒバリさん、なんか言動が……』

「かわい〜なあツナ…」

『ディーノさああんっ!?』

『そこまでだ』

 

会話が全然関係ない方向へ突き進むのを、男が画面に割り込んできて止める。

 

『そういうわけだ。お前らの愛しのボスを返してほしくばさっき言った通りにしろ。そうじ

ゃないと…』

 

男はツナを振り返り、ツナに目線を合わせるようにしゃがむ。

 

『…え?』

 

なんだかとても嫌な予感がして、ツナは怯えの色を濃くする。

 

『ほら、そういう風な目で男誘うのは良くないぜ、ボンゴレ』

 

言うと、男は右手でツナの頬に手をやる。瞬間びくり、とツナは震えたが、男はいやらしい

笑みを浮かべると、ツナの頬、耳に近いあたりをぺろりと舐め上げた。背筋を突き抜けるほ

どの嫌な感覚。

 

『ひゃ…あっ』

「……!!!」

 

テレビ画面の前で、ファミリーは固まった。

男はその後も軽い愛撫を繰り返し、少し露出している胸元に手を滑らせる。

 

『うう…んっ…!や…やめ…!』

 

手錠で縛られているためまるで抵抗が出来ない。それどころかもがこうとすると手首が手錠

に当たってひどく痛い。更には画面の向こうにみんながいるので恥ずかしさが頂点に達して

いた。そのせいで顔が真っ赤になり、余計に色っぽくなる。

 

『や…あ』

辛くて痛くて悲しくて恥ずかしくて、仲間の方を見ていられなくて大きな目をぎゅっとつぶ

る。うっすら涙が目元に浮かぶ。

男はそれをとても楽しんでいるようで、ツナの鎖骨をつ…と撫でると、最後に耳元に口付け

て満足そうに立ち上がった。

 

『つまりはこういうことになるってことだ。俺だけならいいが…ウチにはもっと盛ってるガ

キも多いんでね。早くしないと大事な十代目がどうなるか・・・まあ、色よい返事を待ってる

ぞ』

 

ブチッ

テレビが消えた。

 

「………」

 

ゆらり、と獄寺が立ち上がる。山本、雲雀、ディーノ、骸、ランボも同様に。

彼らの周りには、殺気と怨恨に満ち満ちたオーラが漂っていた。

最後にリボーンが立ち上がる。彼はランボの手から無言で十年バズーカをひったくると、自

分に向かって発射した。現れたのは、勿論十年後のリボーン。服装はほとんど変化していな

いが、ランボ同様十代前半とは思えない整った顔立ちとスタイルをしていた。

 

「………いくぞ。ツナを取り返す」

 

リボーンの言葉で引き金をひかれたように、彼らは走り出した。

 

 

 

 

 

つづく