(彩りは不必要)

 

 

 

 

黒曜のアジトの,大きな硝子窓の前で,二人座って.

 

 

 

 

「骸」

 

なんだか,妙に目に留まったので声をかけた.我ながら,微妙な声音.

ふわふわした,本質をちょっとかすめて通りすぎたような声だった.

 

「なんですか?」

 

彼の声はいつも楽しそうに聞こえる.しゃべりかたのせいもあるんだろう.

俺は彼の手元を指差し.

 

「爪,きれいにしてるよね」

 

興味があるふうでもなく.

発見の喜びを感じさせるわけでもなく.

今日の天気について言うみたく,あまり抑揚なく言った.

骸は俺の言葉に驚くそぶりも見せず,クフフと笑う.

 

「綱吉くんに褒められて,光栄ですよ」

 

手入れのしがいがありますねえ.そう言った彼に,むしろ俺が驚いて目を丸くする.

 

「え…お前,爪の手入れなんかしてんの?」

「もちろん.綱吉くん,してないんですか?」

 

俺はふう,と息をつく.

 

「フツーの中学生男子がそんなことするわけないじゃん」

 

女の子ならまだしも,俺みたいなおしゃれに疎い男子には考えられない.俺だけじ

ゃなく,たいていの男子は爪なんか気にしない.缶のタップを開けられるからって

伸ばし放題な奴もいるし,運動部なんかだと邪魔だと言っておもいっきり短く切る

奴もいる.ヤスリをかけてるならまだいいほうなんじゃないかな.

 

「手入れって何してるんだよ?」

 

首を傾げて問うと,彼は爪を掲げて.

 

「ほら,近くで見るとわかりますよ」

 

言葉で手招く.

透明な陽射しを右半身に感じながら,床に両手をついて身を乗り出す.固くてざら

っと冷たい感触が,手のひらに触れる.

彼の右手をよく見てみると,思いの外きれいな手をしていた.女の子の手をじっと

見たことがないからわからないけれど,女の子の手のような.白くて,細い指.

,その先に彼の爪.

丁寧に切りそろえられたそれは,当然ヤスリで磨きあげられ,そして,透明につやつ

や輝いていた.

 

「…コレ,マニキュア!?

「当たり」

 

俺は眉間にしわを寄せ,かくりと首を傾げる.

 

「男でマニキュア…?」

「別に変なことでもありませんよ.たしなみのようなものです」

 

たしなみ,ねえ….

でも,彼の爪ならそれを享受しても許される気がする.

 

「でも,なんで,わざわざ」

 

体勢を戻すと影の位置が変わっていた.俺の影は,薄い陽光が引き伸ばし,斜め後ろ

に見えた.

彼の影はというと,隣にわだかまったままだ.

 

「きれいでいる,ためですよ」

 

目を上げる.微笑む彼と,目が合った.

 

「へ?」

「永遠というのはね,綱吉くん」

 

遠い空へ,目を移し.

 

「きれいだったり,美しかったりが永遠なのではない」

 

彼の横顔から,俺も空へ目を移す.

うすいうすい水彩のような空は,大きな硝子窓の向こうでじっとしていた.

 

「有限の繰り返しなんですよ」

 

彼の言葉で硝子が破れるかとも思ったけれど,そんなこともなく.

 

「有限の繰り返し?」

「そう.変な話ですが」

 

白い手を,ぴたりと硝子窓につける.そのまま吸い込まれてしまいそう.

 

「永遠は,止まらない有限なんでしょうね」

「有限,なのに?」

「有限,だから」

 

こん,と爪で硝子を弾いて.

 

「だから,一時の美しさが,僕にとってはとても愛しいんです」

 

俺も硝子に手を当ててみた.弱々しい陽光だけれど,硝子はほんのり暖かかった.

 

「だから,

 

骸に目を戻すと,その手にはいつのまにか,小瓶と小さな小さな筆のようなものが.

硝子から手を離していた彼は,筆を爪に押し当てた.

触れたところから広がる,,,黒….

 

「な…にしてんだよ?」

「何って,黒のマニキュアを塗ってるんですよ」

 

言うそばから,どんどん黒の面積は広がって.

 

「もったいない…」

 

俺がそう言ったときには,彼の右手の爪たちはすっかり黒くなってしまっていた.

 

「だから,壊したくなったり,失いたくなったりするんです」

 

彼の爪は断罪されたような影を帯びていた.

 

「…破壊衝動,ってヤツ?」

「むしろ,鳴かぬなら,殺してしまえホトトギスですね」

 

思い通りにならないものなら,せめて自分の手で.

そういうことなんだろうか.

 

「だから女のように派手に塗りたくったり清楚に見せたりする術など,無用」

 

手を陽光にかざして,爪の乾き具合を確かめる.

それから何も言わない俺に見せるためのように,乾ききらない右手で,左も同じに

塗りたくった.

そんなどこかなげやりな姿を見ていたら.

 

「でもさ,そういうのって」

 

自然と口が開いた.何も言うつもりなかったのに.

 

「切なくて,悲しいんだけど…」

「だけど?」

 

口をつぐんだら,小首を傾げて問われた.小学校の先生が,わかりきった質問を生徒

にしているみたいに.

別に特に言いたいことがあるわけじゃないから,俺もなんて言ったらいいのかわか

らない.

 

「だけど…なんていうか,なんか…なんか,じゃない?」

 

骸はぱちくりと目を瞬かせた.滅多に見られない表情に,俺は苦笑する.

 

「さびしい,とかでもなくてさ.ちょっと,ばかだと思う」

「馬鹿…」

「可愛い,って意味もあると思う」

 

可哀想,って言葉も浮かんだけど,ここでそれは正しくないよな.

骸は視線を落としてしばし考えこんだ.長い睫と藍色の髪が,どこから吹き込んだ

のかわからない風に揺れた.

暖かいのか冷たいのかよくわからない空気が,やっぱりじっと待っていた.

骸が顔を上げた.口を開く.

 

「なら,まあ,それでいいです」

「へ?」

 

いつも通りのつかみどころのない笑顔だった,でも幾分穏やかに見える.

 

「綱吉くん.僕が世界で一番きれいだと思っているものが何だか,わかりますか?

「……自分?」

「いや…そこまでナルシストじゃありませんけど」

「骸ならそのくらい言いそうだけど」

 

彼は笑った.子どものような笑顔だった.

 

「君ですよ,綱吉くん」

 

…….

 

「は」

「僕にとって,この世で一番きれいなものは,君」

 

なんだかとんでもないことを言われた気が…しないでもない.

女の子じゃないから,きっと顔が赤くなったりはしていないはず,だけど.

 

「だから本当のことを言ってしまうと,他のきれいなものなんてどうでもいいんで

.この爪も,ね」

 

ぱたぱた手を振る.

黒いせいか,爪が重く見えた.

 

「で,君はそんなにきれいなのに,何故か壊したくならないんですよ」

 

すっ,と骸の顔が近付いた.

彼の瞳にのぞきこまれる.

きれいな瞳だと,思った.

 

「それが…好き,ってことなんでしょうね」

 

突然の告白は彼らしい.こういう,定義づけをするところも.

 

「…――」

 

骸はそっと,俺の頬に触れ――

なかった.

 

「おや」

 

きょとん,とびっくりした顔をして,頬の手前で手が固まる.

普段なら誰が止めようと,それが俺であっても触れてくるくせに.自分から手を止

めるなんて,珍しい.

それどころか,俺から上体ごと顔を離した.じっと手を見つめ.

 

「ああ,やってしまいましたね…」

「何を?」

 

俺は尋ねる.

彼は眉を歪めた苦笑を浮かべ,ははっと笑った.

 

「マニキュア塗りたてでは,君に触れることができませんね」

 

爪を馬鹿にした罰ですかね.

そう言って.

 

「君を,こんなもので汚すわけにいきませんもんねえ」

 

手をかざして,空を見上げた.

よくわからないけど,二人で見上げた空は,きれいだった.

 

 

 

 

 

 

 

(彩りは不必要)

 

 

 

 

 

あえて"フツーの中学生"とかいう単語を使ってみました.ツナが言う何気ない一言

は時として骸を傷付ける言葉かもしれないけど,そういうことですら気にしないで

いられるといいよね,ってことで.読んでくれてありがとうございますv

 

 

 

 

 

次は,親指.