08. 体に似合わぬ手の力(タジミハ)






ふわっ、と体が浮いた。重力に引っ張られてバランスを崩す一瞬前、浮遊感が三橋を包む。今抱えている気持ちをなにかに喩えろと言われたら、きっと"これ"に喩えてしまう。
すべて自由になって、とても嬉しくて幸せでふわふわしていて。でも心には不安が迫る。
しかし重力に任せて地上に落ちる前にまた引っ張り上げられ、もう一度浮上する。
目を上げると自分の手を引く田島の姿。三橋を見て、楽しそうに笑う。
遠いどこかを指差して。


「みはし、行こうぜっ!」


どこに?どこかに。
田島に聞けば答えは返ってくるけれど、彼に任せていれば自分は幸せで。幸せに、なれるから。大丈夫。
でもたまには。たまには。
ときどき不安になる。今のような一瞬の浮遊感とは異なる、漠然とした悲しい不安。痛み。
田島は三橋の言葉にもなっていないようなことをすぐに理解してしまう。それもとても的確に、寸分違わずに。
だからときどきそれは後ろからついてくる影のような不安を引き出す。もしかしたら、と。
もしかしたら、三橋が考えていることは、田島の考えていることなんじゃないだろうか、って。
西浦に来る前の「三橋」は三橋だった。確かに西浦に来て変わったけれど、それでも自分の意志はきちんと働いていた気がする。しかし、いつからか、おかしくなった。自分じゃない自分が心を支配していると思うときが少なくない。性格はそんなに変わっていないのに。
だからねじれた思考でしかないけれど、もしそんなことが成り立つのだとしたら、恐ろしすぎる。


――お願い。


すべてあなたは知っているから。くみとって受け止めて、知ってしまうから。
言わないでほしい。それだけは。言われたらきっとそれは三橋廉の本当の気持ちになってしまうから。


――おれが、田島くんのこと、―――って、やめて。


三橋はその気持ちを言葉にする方法を知らないけれど、強く握られた手に向かって必死に叫ぶ。けれどそれは田島の心には届かない。当たり前。
田島悠一郎は三橋廉ではないのだから、心なんて本当の意味で読めるはずもなければましてや支配してしまうなんてできるはずないのだ。けれど三橋にはそのことが案外できてしまうのでは、と思える。今自分をぐいぐい引っ張って歩いている彼は、いとも簡単に笑ってやってみせそうだ。


「みはし」


不思議な感情の籠り方をした声がかかる。淡々と、という表現が一番正しい気がして、しかし田島のそういう声を聞いたことのなかった三橋は危うく足を止めそうになった。田島が歩き続けているから間違いなく転んでいただろう。


「な、に?」


歩きながら田島の顔が振り向いた。バッターボックスに立ったときのような、真剣な顔だった。


「俺、三橋に言いたいことあってさ」
「……ぁ」
「あのな、ヘンかもしれないけど、おれ、トモダチとかじゃなくて三橋のこと好き」


なんで。三橋は言いそうになって、でも先に涙が出てきてしまったので、問いはおあずけとなった。
田島はそれでも足を止めない。前を見て、すたすた、歩き続ける。


「ヤなら、いい」


手の力が増した。自分よりも小さな体のどこにこんな力が秘められているのか三橋にはわからなかった。それと同時に田島の気持ちも。
自分で言わなくちゃいけない。たぶん今田島が振り向いたら三橋の心なんてあっという間にわかってしまう。いや、そもそも三橋のこの気持ち自体、彼の心なのかもしれないけど。


――この気持ちが、ホントなら、いいのに。


自分をいつも見ていてくれる天才4番バッターのことを、田島の気持ちでではなく自分の気持ちで見られたらいいのに。でももう彼の口から三橋の想いは出ていってしまって、それはどちらの心なのかわからなくなった。
ならそもそも自分から好きだと言えればよかった。無理だけど。それなら何があってもそれは自分の気持ちだから。田島の気持ちではないから。


「たじま、く…」
「うん」


田島は頑なに振り返ろうとはしなかった。ただまた、手の力を強めた。
離さないでほしくて、同じくらい離してほしかった。その手がどんなに魅力的か知っているから余計にそう思う。
通訳の便利さと同じで、浸かったら抜け出せなくなるシロモノなのだ。


「田島くんは、おれのこと…す、き、なの?」
「そうだよ」
「じゃ、お、おれ、は?」


三橋はぼろぼろ涙をこぼして言った。


「おれ、は、田島くんのこ、と、すき、なの?」
「知らないよ。だから聞いてんじゃん」


ごくごく当たり前のように田島は答える。普段の彼からすると随分イライラした口調が余裕のなさを物語っている。まるで阿部みたいで三橋は純粋に驚いた。


――知らない、の?


三橋は目をぱちくり瞬かせる。普段の田島ならなんでもわかるのに、どうしてだろうか。


「で、も、田島く…」
「わかんない。三橋が誰を見てるかとか、誰のこと大切かとかわかるけどさ、見てれば」


田島は歩きながら足元を蹴りあげ、また歩く。別に何も落ちていなかったので何も起こらない。


「でも、三橋の好きなひと、わかんないし」


突然立ち止まる。三橋はつんのめって田島に追突しかけて、その勢いのまま振り返った彼に抱きとめられた。
肩の辺りと腰の辺りに回された田島の手はやっぱり強くて、でもどこか幼さの残る感触だった。首のところに熱い息がかかって、三橋はびくりと震える。


「みはし、好き。なんか、他のモンと比べるのバカバカしいってくらい、好きだ」
「あ、う、」
(それはおれの気持ちなの?田島くんの、気持ちでしかない?)


「みはしは?おれ、シアワセにするよ。ゲンミツに!」
「う、お」
(幸せ?それって田島くんが幸せ?おれの、幸せ?)


何もかもなかったことになればいいのに。でもなんでそんなこと考えてるんだろう。おれの、ばか。三橋はそう思いながら田島の肩に頭を預けた。
きっと幸せってこういうことだ。好きなひとに好きって言ってもらえる。でも田島の口から出た言葉は田島の言葉で、三橋の感情じゃない。
心も頭もぐるぐる螺旋を描き、どこにも辿りつかない。無限ループみたいで、結局何かもなかったことになればいいのにって、マイナス思考しか働かない。


――でも、好きなんだ。すっごくすっごく、好き。


それは。何が起きても、何が変わっても、もしかしたらすべて嘘でも。
いつだって自分を見てくれた。視線を、くれた。いっしょに笑ってくれた。抱きしめてくれた。


――ホントの、気持ち、だよ。


三橋はそっと、田島の背に腕を回した。
だけど怖い。全部が決められていたことで、全部が自分の気持ちじゃないなら。
ならもう打開策なんて自分は持ち合わせていないから、彼に頼むしかない。


「あの…」


三橋は顔を上げる。真剣そのもの、って顔の田島に、金魚のように口をぱくぱくさせて請う。お願い。お願い。お願い。


「証拠、ほしい…」
「証拠?」
「おれを、好き、って証拠、が…あるなら」


ちょうだい。言葉は触れた田島の口に飲み込まれた。
至近距離に目を閉じた田島の顔。優しく温かく食まれる唇。


――き、す?


ぼんやりした思考の中で三橋は目をつぶる。
すべて自由になって、とても嬉しくて幸せでふわふわしていて。でも心には不安が迫る――。


――あ。


口づけの合間に、三橋は小さく微笑んだ。





おれ、田島くんのこと、好きなんだ、ね。







強い力で手を引かれたときの、あの浮遊感は恋なのだと、いつから気づいていたんだろう。








なんかここ最近でも1、2を争う強烈な勘違いな気がしてなりません(汗)。どうしたんだ空月。何がしたいんだ空月。
これはさすがに説明がないとアレな文なのであれこれ説明しますと、三橋の無限ループっていうのはこういうことです。

田島くんのことが好き
→でも田島くんは俺の心が読めるみたいだから、そのことを知ってるのかも
→田島くんはなんでおれの言いたいことわかるのかな?
→もしかしておれの考えてることって、田島くんの考えてること…?(←愛すべきバカ)
→じゃあおれが田島くんのこと好き、っていうのも、それは田島くんの望んでること?
→おれはホントは田島くんのこと好きじゃない…?でも…!
→初めに戻る

こんな感じで。すみませんややこしすぎました。途中書いてて私が混乱して三橋の思考回路に付いていけなくなっていました。まったくこの子ったら!(愛を込めて)

三橋は自分の感情を言葉で定義付けするのがいかにも苦手そうなので(伝説の「阿部くんスキだ!」はオウム返しというやつです・笑)、ちゃんと言葉で示してくれると安心。でも逆に心配にもなる…という妄想でしたごめんなさい。修行し直してきます。
ここまで我慢して読んで下さったそこのアナタ!愛してます!(酷く迷惑)


07,9,15

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