<あついふたり>
なんで普通の教室の机って、可動式なんだろう。ツナはぼんやり考えた。
そりゃあ、掃除しやすいとか外に出してしまえばレクリエーションができるとか、利点はあると思う。
でも家庭科室や理科室の様に固定式の机でも、問題はないだろうに。他に良いところといえば、昼ご飯
を食べるときに机をくっつけられることか?
ツナは息を吐いた。現実逃避をしても、目の前のプリントが終わるわけじゃない。
シャーペンを適当に回して、う〜んと唸る。出したいのは人の数。bが2だから、cも2で、すると答
えは…。そこまでは、さっきから行き着くのだ。なのに最後がうまい数字にならない。c=0.5。人
数としてどうだろう。あれか、分裂したのか。
少し変色気味のわら半紙に並ぶ数字と文字が、何かの記号のように見えてきて、頭が沸騰し始める。夏
の暑い中で数学をやるなんて、サイアク。汗でワイシャツが肌に張り付き苛々が増す。ずっとシャーペ
ンを握っていた手に汗がにじんで、やっぱり気持ち悪い。一度机にシャーペンを置いて、ズボンで拭い
た。
「ツナーわかったかー?」
「…全然」
顔を上げずにちょっとそっけなく言って、ツナはまたシャーペンを取る。暑い。
夏のせいか、身体が芯から熱い。心臓の音が聞こえる。やめてほしい。
――だから、どうして普通の教室って。
一番始めに戻る。
――机、くっつけられるんだよ!
「ツナ」
どくん、心臓が跳ねる。
ツナは目を上げない。今の視界は自分の机で埋まってる。その先、なんて、見ない。見てたまるか。
「なに?」
できるだけいつもと同じように応えたつもりだった。気を落ち着かせるために、手の上でペンを回す。
と、
「あ…」
普段決して落とさないのに、手汗のせいか、それともどこか震えていたせいなのか、ペンが指をすり抜
けて机に落ちた。コロコロ、と前方に転がってゆく。
それを無意識にツナの手が追いかけ、向こうから同じように伸びてきた彼の手に、指先が触れた。
「!」
「わっ…」
彼の声に、ツナは視線を上げてしまった。目を見開いて口をあけた彼と、目が合った。彼は顔が赤くて
――たぶん、自分も同じのはずだ。
熱い物にでも触ったかのように手を引っ込め、目を逸らした。いや実際に、彼の手は熱かった。燃え盛
る炎のように。
ツナはうつ向いた。夏の暑さをなめていた。何もかも暑くて、死にそうになる。
「ごめ、ツナ…」
しりすぼみな彼の声に、首を振る。どうしたんだ自分。そりゃ夏なんだから、暑いに決まってるじゃな
いか。でもなんで、彼の声に、仕草に、熱さに、ここまで?
誰が決めたのだろう。どちらから始めたんだろう?補習のとき、机をくっつける、だなんて。頑張って
も、今のように、視線が合ってしまう。
「おれ、こそ、ごめん」
ぼそぼそとした声しか出せない。少しだけ視線を上げて、急いでシャーペンを手に取った。空中で止ま
ったままの彼の手は、見なかった方向で。
最近、妙に暑い。二人きりの補習は、かなりきつい。
いつからかはわからない。しかし確かに、彼の目が熱くこちらを見ていると知ってしまったから。ツナ
はどうしたって顔を上げられなかった。嫌ではないけれど、死にそうになる。熱くて、息ができなくて、
泣きそうになる。避けて、逃げるのは当り前だろう?
「やま、もと」
「…うん?」
静かに低く響く山本の声に、心がじん、と反応したが、ツナはシャーペンを強く握って耐えた。
「そろそろ、かえろ、っか」
山本は何も言わずにツナを見つめ、目を細めて小さく笑った。カチコチで真っ赤な小さな彼は、かなり
つらそうなのだ。
――無言がつらくなったのって、いつからだっけな?
山本はん〜っと伸びをして、ペンをぽとり、と筆箱に落とした。
「おう、帰るか」
夕暮れ時の帰り道だというのに、陽は一向に弱まらない。むしろ、強くなったようにふたりに照りつけ
た。コンクリートからの反射熱とやらも手伝って、大気の熱さが脳神経まで侵す。
いつからか、ふたりはだいぶ静かに家路を急ぐようになった。前はくだらない話で盛り上がれたし、話
すことなんていくらでもあったのに。でも、前話していたことなんて忘れてしまった。どんなことが、
この沈黙を埋めていたのか…思い出そうともがいてみても、答えは見つからない。
だから、自然と足は速くなった。本当はずっと、いっしょにいたいはずなのに。
ふたりの距離は一定だ。人がひとり間に入りそうなくらいの、距離。それ以上近づかないし遠ざかりも
しない。前はあれだけ、肩を組んだりこづいたり、ということを自然にやっていたはず。だから、いつ
からなのか?しなくなったのは。
山本はちらりとツナを見てまた視線を前に戻した。同じことを数秒前、隣のこの子がしていたとは夢に
も思わずに。
――そういうことをしないのは、最近暑くなったからだ。
自分に言い聞かせる。野球部の他の奴らとは散々肩を組んだりどつきあったりしていることは、今は忘
れよう。ツナは彼らとは違って…よくわからないけれど、そんなことしちゃいけないんだろう。暑いと
きに。
「ツナー」
「う、ん」
「暑いなー」
「……そ、だね」
ツナの茶色のふわふわした頭がこくんとうなづくのが見えた。
最近、妙に暑い。夏ってこんなに暑かっただろうか。
その「最近」がいつからかわからないが、とりあえず、最近ツナの瞳が、熱っぽくこちらを見上げてい
ると知ってしまったから。とても触れたいけれど、山本はそんなツナに触れなくなった。つらいけれど、
しょうがない。何か抑えが利かないものが、爆発しそうになるのだ。熱くて、息ができなくて、怒り狂
いそうになる。触れず、距離を取るのが最善策だろう。
とにもかくにも、話題、話題。暑さの話だけじゃすぐにふたりの間のキャッチボールは途切れてしまう。
俺、投げるのヘタなのかなあ、と山本は思って、ため息をつく。それとも返すのがヘタなのか?どっち
にしたって投手としては最悪だ。
角を曲がると、向こうからやってきたカップルとすれ違った。楽しそうな笑い声が通りすぎて、遠くに
なってゆく。身体を寄せ合っていて、暑苦しかった。
「やまもと」
ツナが消え入りそうな声でつぶやく。もちろん、聞き落としたりなんかしない。
目をやると、ツナが苦笑いでこちらを見上げていた。少し、熱っぽい瞳で。
心の中でうごめいた何かには、黙っていてもらうとして。
「なんだ?」
「今の…」
ツナは後ろを振り返って、もう遠くになったカップルを指差した。
「ちょっと…暑苦しくなかった?」
「…やっぱ、ツナもそう思う?」
山本はへにゃりと笑った。よかった、この子も同じことを思ってくれていた。そう思うと、暑さなんて
どうでもよくなった。
ツナは前に向き直ると、ため息一つ。ただ、こちらも幾分表情が和らいでいる。
「なんか…周りの身にもなってみろ、って思わない?」
「んー、確かになあ」
「ベッタベタ、だよねー」
なんだか久しぶりにちゃんとした会話ができて、ふたりは顔を見合わせて笑った。まだちょっとぎこち
ないけれど。ああたぶん、こういうなんでもないことを繰り返していたんだ。自分たちは。
それで幸せなのに、いったい何を求めようとしていたのだろう。理解に苦しむ。
ツナはちょっとだけ気分が楽になって、ワイシャツにぱたぱたと風を送り込んだ。汗ばんだ赤い肌が、
見え隠れする。山本はそれを横目で見て、目をそらした。
――いけね。また、暑い。
のどが鳴る。のどが、渇いたのだろう。
「でもさー」
「…んー?」
ツナは可笑しがって、手を口に当てて笑いながら言う。
「暑くないのかな?ああいう人たちって」
「さー…でもさ」
「うん」
山本は空を見上げる。ようやく陽が弱くなり始めたようだった。頭も、少しずつ、冷えてきただろうか。
「ツナとなら」
「…うん?」
「ツナとなら、暑くても、いいな」
ツナが立ち止まった。数歩先で、山本も。
振り返ったらどんな顔が待っているのか予想はついた。でも、しっかり見たい。見なくちゃいけない。
ゆっくり、振り向く。
ツナは、可愛らしい顔を真っ赤にして、こちらを見ていた。小さな口を、ぽかんと開けて。
――わあ、大正解。
妙に納得する山本とは対照的に、ツナは頭が沸騰した気分になった。さっき感じたのの、遙かに上の沸
騰加減だ。百倍くらい。だって何も考えられない。目の前の、彼のこと以外。
ツナは、びくりと肩を震わせた。泣きそうになった。そして死にそうだ。死んでもいいや、もう。
しかし、彼は数歩前で自分を待っていて、自分が彼に踏み出してゆくのを待っている。いや、待ってい
た。知ってた、ずっと前から。知りたくなかっただけだ。
ツナは自分の手を見つめて、それから目の前の彼を見つめて、一歩、踏み出した。二人の距離がさっき
と同じになる。
もう一歩、小さく遠慮がちに進む。二人の距離は半人分くらい。0.5。これが、さっきの補習プリン
トの答えなのか。それなら、つじつまも合うのになあ、とバカなことを考えた。もうきっと頭だってお
かしいのだから、許されるだろう。
そして、いくら遠慮がちに進んでも、残りは半歩。
ツナは涙目で山本を見上げた。山本は、とても優しい笑顔でうなずいた。
残りの半歩、0.5の距離を、縮めた。
小さな手の甲が、大きな手の甲に、ぴとりと触れた。すぐに山本の大きな手がツナの小さな手を包み込
み、握り締める。ぎゅ。
「……」
「…――」
目が、しっかり合ったのも、ほんの数秒くらい。
山本が歩き出した。ツナもすぐ歩き出す。気のせいか、二人とも先ほどより歩みが速い。そのせい…だ
と思われるが、はあ、はあ、と息遣いがひどくなる。
「あつ、い」
「だな、」
「あつい、よ…」
「ああ、すげーあつい…」
ふたりは互いの顔を見ない。まっすぐ前を見たまま。
山本は空いた手の甲で顔を拭った。
「なんか、ヘンだな」
「うん…」
「でも、いいや」
「うん」
「ツナとなら」
握る手に力を込める。小さな返事が力となって、返ってきた。
「やまもと、あつい」
「ツナも、だいぶあつい」
なんか、ちょっと間違った言葉で話しているようだ。本当はもっと的確な表現があって、でもふたりと
もそれをどうしても使えなくて、気温のせいにする。
「あついけど、でも…」
ツナは言葉を切った山本を見上げた。彼の目は、ひどく熱くて、あの目で見つめられたら、たぶん本気
で死ぬと思う。それでもいいと、思う。
「ツナとなら、あつくても、いいんだ」
暑い。熱い。あつい。
君のことが――
あつい。
終
-----------------------------------------------------------------------------------
暑い!今暑いからってこんな話書いちゃってもう…何やってんだ自分。
相互記念リク、<コトリ。>のアメ様から頂きました。リクは「甘酸っぱい山ツナ」。…誰かこのおバカに甘酸っぱいの意味を教えてあげて下さい。むしろ甘じょっぱいよこれ?
あんまり言うこともないのですが、要は「あつい」=「好き」ってことでひとつ。お願いします。
互いに互いのことが好きだって感覚的にはよくわかっているんだけど、理性ではまだ抵抗しているぎりぎりの部分なんだと思います。でも、互いに望んでいるから、もう少しで…って感じで。(なにが言いたいんだ…)友情が恋に変わっているのに、それを認めちゃうとつらいから押しとどめてるふたり。可愛いなあ(笑)
アメ様、こんなんでよろしいでしょうか…もちろんいわずもがな、返品可です!
甘酸っぱくできなくて、すみませんでしたー…orz
07.6.29