やっちゃダメだよ、反則だから
お兄さん。栄純が呼ぶ。
それに対して亮介は特に驚きもせず嫌がりもせず否定もせずに、なに、沢村。そう答える。
「あの、守備のときなんすけど、」
栄純が亮介の名を――正しくは「お兄さん」と他人行儀なのか馴れ馴れしいのかよくわからない呼び名を――呼ぶのは、試合のときくらいのものだったのに、と亮介は思った。そもそも日常生活で接点が無さすぎるせいもあるかもしれない。自分は投手である栄純と会話をすることはそうそう無いし、時々誰かの部屋に集まって寛ぐ時も別段傍にいることはない。
栄純は珍しく真摯な態度で、セカンドやショートとの連携について尋ねた。
自分で守備は不得手であることを理解しているらしい、と亮介は片眉を上げる。試合の際に妙にズレた発言が多いので、苦手分野すら把握していないのだろうかと思っていたからだ。
「後ろって目で見えないから、わかんないんですよね」
へらりと笑う。が、別に怒りは湧かなかった。それが普通だろうと思ったからだ。特にこの一年は野球についての知識がかなり劣っているらしく、この程度のことで逐一釘を刺していては疲れるだけ。そんなことはクリスや御幸にでも任せておけばいい。
自分と栄純の距離はいつでも「ピッチャーとセカンド」か「先輩と後輩」だ。例外として「弟の友人」というのがあるが、それは栄純と亮介の関係を位置づけるものではない。ピッチャーとセカンドという間だから今このように守備について話しているのであり、先輩と後輩だから栄純は敬語を使い亮介はいつも通りである。けれど春市の友人であるからと言って、栄純に対する態度は変わらない。特に優遇するわけでもなく、かといって逆に排斥するでもなく。
弟への態度自体が決して彼を甘やかすことないよう、一人で野球に取り組めるようになってほしいという亮介の思いからなるものであったから、栄純へのそれも同じようなスタンスだ。
ただまあ、栄純に対して亮介は特に思い入れを持っていないから、優しさからというよりは単に状況がそうさせているという面が強かったわけだが。
栄純にいつも通りの笑顔を向ける。作ったような笑顔だと言われがちだが、それは単なる誤解だ。これは彼の地顔というか、一番楽な表情をしているに過ぎない。
瞬間栄純がびくりと肩を震わせたのを見過ごさなかった。やはりまだ多少委縮しているんだろう。
「別にお前はまだ一年だし、そこまで考えなくてもいいよ」
事実だった。というか、これ以上言いようもない。
倉持との鉄壁の二塁間と呼ばれる守備も一朝一夕のものではないし、言葉で説明できるような問題でもない。要は練習の繰り返ししかない。
しかし栄純は少し下の位置にある亮介の瞳を見て、目を瞬かせると視線をもっと落とした。
「そう…っすね」
「なに。不満そうだね」
「えっ!?そ、そんなことないですよ…!」
手をぶんぶん振って否定する様は見ていて面白いが、いつまでも無駄話をしているわけにもいかない。今は曲がりなりにも練習中である。
最後にちょっと毒のあることを言って気を引き締めさせてから練習に戻ろう。そう亮介は手短に思い、にこっと栄純を見上げた。
「守備のことばっかり気にしてないでそのコントロールをなんとかしなよ?」
「!」
栄純は慌てて直立不動になると冷や汗を垂らしながらこくこくと頷き――頷いたが、はた、と止まる。
まるい目で亮介を見、首を傾げた。
「守備のことばっか、じゃないすよ?」
「へぇ?」
他の人間だったら「は?」とか「へ?」とかに近い相槌だった。しかし亮介はその性格から呆けるという仕草を自身に許していないところがあったので、自然と言葉は面白がるような響きを持ったのだった。
しかし、次の瞬間それは崩れた。
栄純は今さっき亮介がしたようににこっと笑った。けれどその笑顔は光り輝いて見えた。
「亮介さんと、話したいなあって」
くすぐったそうに微笑む栄純に呆気にとられた亮介は、今までの会話をすべて頭の中でリピートし、それがすべて自分と話すための口実だった、という可能性を考えて――
「?亮介さん?」
俯いた彼に栄純は不思議そうな顔をする。
――なんて子。まったく、何を考えてるんだ。
溜息をつきながら亮介は口を開いた。
「それ、やめな」
「へっ?」
「反則。もう、ひどい」
自分でも文章になっていないとわかっていながらも、彼はそれでも虚勢の笑顔を絶やさなかった。
08/10/13