イラッ、というのが一番正しい気がする。 「みはしーっ!!」 「あ、あわ、た、じまく、ん」 部活の後で汗臭いだろうに三橋に飛び付く田島を見て、阿部は小さく舌打ちを した。何かと三橋に引っ付く田島にも相当いらついているのだが、その傍若無 人ぶりに嬉しそうに笑顔を見せる三橋が更に気にくわない。 彼らは同じクラスということもあって仲がいい。そして天然同士ということも あってか、田島は三橋の言葉をうまく理解している。練習中田島が三橋の球を 受けることも最近は多い。あの人見知りこの上ないエースを引っ張っていける という点から見て、田島は良い人選だろう。ある程度の球ならさばける。多少 考え無しのきらいはあるが、いい勘の持ち主であることも確か。 ――けど、アイツのバッテリーの相手は俺だ。お前じゃ、ない。 先に見つけたのは自分だ。彼の才能を、ひた向きな強さを、努力の跡を。順番 に固執するなんて馬鹿馬鹿しいことだとよくわかっているけれど、でもこれだ けは譲れない。 彼の居場所。マウンドの上。三橋にとって一番の場所に向かい合えるのは自分 だけだ。一番幸せな三橋と見つめ合えるのは自分だけなんだ。なら他のどんな 彼を知らなくても、少しは安心していられる。 少し、は。 ――俺はキャッチャーで、お前は四番で、三橋はピッチャー。どちらが、なん て、明らかだ。 阿部は帰り支度を済ませバッグのファスナーをジッ、と閉める。ロッカーの鍵 を確かめて、振り返った。想像通りの光景に眉間に皺をよせ、一喝。 「三橋、とっとと着替えろ!風邪引くだろが!」 ムカッ、というのが一番正しいんだと思う。 「ったく、早くしろよ」 「ご、ごごごめんなさい…!」 くしゃり、と頭を撫でて口調とは裏腹に優しい顔をした阿部を見て、田島は口を 尖らせた。そして阿部もかなりムカつくけれど、もっと嫌なのは三橋が脅えなが らもすごく嬉しそうな顔をすることだ。阿部は気付いてないけど。 三橋と阿部はバッテリーだから、練習じゃほとんどいっしょ、試合中だって一番 近くにいる。見つめ合う二人を見ていると何か邪魔できない空気を感じる。それ だけ互いが互いに集中しているということだ。西浦の勝利はやっぱり三橋にかか っていて、それには阿部のリードがなくてはならないわけで。 ――でも、アイツの一番は俺だよ。お前じゃない。 沢山知っているのは自分だ。彼の心からの笑顔、あたたかな優しさ、信念の強さ。 そう、三橋の一番の笑顔を見たのは自分だけ。ちょっと自慢したくもなるけど、 もったいないので秘密だ。 自分の居場所。バッターボックス。三橋がエースになるのに一番貢献できるのは 自分なんだ。そしてサードというポジションは、たっくさん三橋を助けてあげら れる。三橋を一番幸せな顔に導けるのは、クラスでも部活でも試合でもそれがで きるのは、絶対。なら、バッテリーじゃないのだって少しは我慢できる。 少し、は。 ――俺は四番サード、お前はキャッチャーで、三橋はピッチャー。ほら、俺は三 橋を喜ばせる要素を二つも持ってる! 田島は荷物をバッグに詰め込んで肩に提げた。後ろからこっそり近づいて、三橋 の手を引いて、大声で宣言する。 「三橋!かえろーぜ!」 嬉しい、ということしか、自分は知らない。 「オイ勝手に引っ張ってくな田島!」 「三橋は俺といっしょにかえんだよー!」 阿部と田島が言い合いを始めるのを、三橋は目をまんまるく開いて見ている。一 体なんで言い合いしているのかわからない。わからないがしかし、自分に関係し てのことだ、くらいの認識はある。 田島も阿部も、とても自分によくしてくれる。田島はクラスでも浮き気味な自分 を回りにとけこませてくれるし、アウトをとるたびに「ナイピ!」と声をくれる。 そして何よりすごいバッターだ。得点に絡んでいつも自分を後押ししてくれる。 阿部はちょっと怖いが、ダメピーの自分をぐんぐん引っ張っていってくれる最高 のキャッチャーだ。試合中ずっと気にかけてくれて、本当は優しい人だ。 ――だから、たぶん、これも俺のための、何か。 自意識過剰かなと思うけれど、そう思えるのだって二人の、西浦のみんなのおか げ。今の自分は幸せすぎるくらいに幸せなんだ。 知りたいなあと思う。二人をもっと。自分にはまだわからないことがいっぱいだ から。 自分の居場所。昔はマウンドにしかなかったそれは、今では西浦というみんなの もとにある。ピッチャーとしてみんなと野球ができる。 ――俺は、ダメピーだけど、阿部くんも田島くんも、ほんとに、いいひと、だ! 三橋はふひ、と笑った。それを見て不思議そうな顔をする田島と阿部を見て、珍 しく気後れせずに気持ちを口に出す。 「あり、がとう!」 「……なんだよいきなり」 「ひっ…ご、ごめんな、さ」 「別に怒ってねぇって…」 「うん、だいたいわかった。こっちこそありがとな、三橋!」 「はあ!?」 「へ、へへ…」 「何笑ってんだよお前は!?田島、どういうことだ」 「教えなーい。じゃー帰るかー!」 「待て!俺も行く!」 「ふひっ!?」 ――三角形の捉え方は、人によって異なる、ってこと。