あまり変わっていないはず、だった。
けれど自分の知っている彼と目の前の彼は、あまりにも異なって見える。
――こんなに、ちいさかったっけか。
隣を歩く少年が聞いたら複雑な顔をすることうけあいの台詞は、山本の胸の中で霧散する。
腕を乗せた頭の位置。目を合わせるため落とす視線の角度。
「あれ」が起きてから頭の中で何回も思い返したその愛しい距離は、思いの外遠く。
草を踏みしめて歩く。背の高い草、低い草が秩序なく茂るここは、並盛と思えないほどだ。
草を踏む軽い音が横から聞こえる。一定の規則正しいテンポなどではなくて、時たま何かにつまづくのか滑るのか、テンポがずれ続けている。
横目で見ると小さな彼は、あぶなっかしい足取りで懸命に歩いていた。
目が合う。
笑ってやると、ツナは嬉しそうにへにゃっと笑い返した。
瞬間、思い出す。
――だめ、です。
広く明るくしかし空気の暗く痛い広間で、ツナは言い切った。
――だめです。
途端巻き起こる抗議の叫び。いや、山本にはそれが、戦いを前にして高揚した雄叫びに聞こえた。
彼等の言っていることはいたって正当。報復。そう、ボンゴレに害なした輩を掃討するのは至極当たり前の話だった。
それをボス自ら話し合いの場を設けようとするのだから、古参の者達が難色を濃くし血気盛んな若者達がいきり立つのは更に当然のことで。
ツナと同意見――でなくても、彼の指示に素直に従おうとするのは守護者達のみのようだった。
何を考えている。また死人が出るかもしれないんだ。ここで潰さなければ。殺さなければ!(所詮はジャッポーネか、という呟きはいくつかの眼光という名の銃弾に黙殺された)
それでも、小さなからだに不釣り合いな大きく黒々とした椅子に座ったツナは、首を縦に振らなかった。
痺を切らした幹部の一人が訴えた。
――ではボス、貴方は自分が死んだ時の報復すら許さないつもりか!
しん、と静まりかえる広間。ツナは少し目を見開いた。
ツナはふ、と空中に目をやり、握り拳を震わせる幹部に凛とした顔つきで言い放った。
――はい。
幹部の男が驚愕の眼差しでツナを凝視する。他の面々も同じだった。
ゆっくり、ツナが立ち上がる。広間のどの男達より小さく細いその身体、しかし威厳という点でならその場で敵う者はいない。
全員の顔に呼びかけるように、ツナは視線を巡らしながら口を開く。
――どんな理由であれ、報復、弔い合戦の類を許すことはできません。それは、感情にまかせた戦いになります。
高めの、柔らかい声が広間に広がる。
す、とツナは瞳に力をこめた。
――心を鬼に喰われた者の剣は、弱い。そんな者をボンゴレの戦士として送り出すわけにはいきません。勿論――
一息ついて、彼は言い放った。
――それが俺の、死に対してだとしても。
ツナらしい。山本はそう思いこっそり苦笑した。と、ツナはくるりとこちらを振り向いた。
ボスの後ろに控えていた守護者達に、目を向けて。
――みんなも、ね?
答えがわりに笑ってたら、へにゃ、と、笑い返された。
――なあツナ、やっぱしダメか。
あの時からもう随分経った。あの時はまだミルフィオーネなどという新興マフィアは出てきていなかった。戦術が変化し、戦いの目的も変わった。
それでも。
彼からの命令は、変わらなかった。
今も、今でさえ、変わっていない。
山本は息をついた。完成の目処が立っていたはずのアジトは、深夜ということもあって静寂に包まれている。そうでなくても、こんな状態下で騒ぎ立てる者などいるわけがない。
――むしろ騒いでほしいな。獄寺あたりに。
ぼんやりと昔の記憶が頭をよぎって、よく思い出せないままに消えてゆく。
圧倒的に不利だった。かつてのボンゴレでは考えられないようなことが、次々と起きている。
そんな時やってきたツナと獄寺は、確かに救世主のような存在だ。ボンゴレリングを、それもハーフリングでなく完成品を所持しているのは心強い。戦闘力や経験が乏しいのが少々気になるところだが、きちんとサポートすればある程度は戦えるようになる。
ただ。
――なあツナ。戦いたい?
答えはノー。決まっている。
――じゃあさ、ツナ。戦わせたい?
多分この問いには、ツナは口ごもるだろう。リング争奪戦時のツナなら、まだ覚悟を決めかねているはずだ。あの性格からして、雲雀や獄寺の気性に一々ツッコミつつ悩み始めるに違いない。
けれど。例えば。
――ツナ、俺に、戦ってほしい?
馬鹿げた話だった。そう言ったら、愛しのボスは確実に傷つく。あの優しい顔が、苦しく歪む。
自惚れ。自意識過剰。
そうだとしても、それが事実のはずだから。
「ツナ、ごめんな」
「え…」
隙間風のような小さな声が聞こえ、山本はさっと顔を上げた。
簡易の台所で流しに寄りかかっていた山本の真正面に、茶色を基調とした山本の大切な少年がつっ立っていた。
その顔に浮かぶのは困惑と、眠気と…。
――泣いた、のか。
目が赤くなっていた。昔から、ツナのいろんな泣き顔を見てきた。誰かのために泣いたんだなあ、と、直感的にわかる泣き方だった。
できるだけ緊張を和らげたいのと誤魔化しとをこめて、山本は元気のいい笑顔を向ける。
昔の自分がよくしていたであろう、何もわかっていないような笑顔。
「ん、眠れないのか?」
「あ…う、ん」
ツナは気まずそうに目を泳がせた。
こんな夜中なら山本やラル・ミルチも寝ていると思ったからこうして顔を洗いに来たのだが、読みは見事外れた。勘のいい彼らのことだから見られたらすぐわかると思った。多分、目の前の彼は気づいていて何も言わないのだろう。
――情けな…。
ふぅ、とため息。ダメだなあ、と思う。
「なんか、突然いろんなことが起こり過ぎて…眠れなくなっちゃったんだ」
「だよなあ。いきなり十年後かと思ったら、ビックリだよなあ」
うんうんと頷く山本を見て、ツナはくすっと笑った。身体が大きくなって、ずっと風格の出た彼も、時折懐かしい仕草を見せてくれるのが嬉しい。
少しだけ笑ったツナを見て、少しだけ安堵する。
そうしたら、どうしても。
「なー、ツナ」
「なに?山本」
呼ばれる度に、ああ、大好きだ、と思う。
「ツナは…戦いが好き?」
口をついて出た言葉が自分でも意外で、口を押さえる。
――なに言ってんの、俺?
ツナを見ると、小さな口を開けてポカンとこちらを見ていた。
「……」
「ごめ、ツナ、何でも」
「山本は?」
すっきり良く通る、澄んだ声。
ツナの目は、あの時と少し似ていた。
「山本は、戦いが、好き?」
「…え、」
ツナは目を落とした。ふらりと視線が何もない空間をさまよって、山本に戻ってきた。
ばつの悪そうな優しい苦笑いと共に。
「俺は、好きじゃないよ。好きじゃないけど…でも、ほらコレ」
そう言って出されたのは、左手の中指に輝く大空の証。
ツナは穏やかな顔でそれを見る。
「リング争奪戦で、思ったんだけど…」
自分の問いに応えてくれる人が、目の前にいる。どうすればいいかを、十年前も、今も差し示してくれる彼が。
「何を…?」
ツナの一挙一動に目を奪われながら、山本は問うた。
ツナは少し迷って――自分が変なことを言ったらと思うと心配になった――笑って言った。
「戦いたくないのは俺だけじゃなくて、ホントは、みんな戦いなんてしたくないんだなあ、って」
「……」
「だけど、何かを守るために、必要なことでもあるんだ、って、思った」
ごめん、難しくてよくわかんないや。ツナはため息をついた。先程より幾分すっきりしたため息。
山本は頭をかいた。そして重い息を、どっと吐き出す。
――なんだ、そっか。それでいいんだ。
戦いって仕事みたいだよね。無いと楽だし誰も傷付かないで済むけど、しないと物足りなくなる人が多い。大好きな人も、大嫌いな人もしなきゃいけない。だって――
昔、ツナが言っていたのを思い出す。
「ツナ」
「うん」
「ありがとな」
ツナは目をぱちくりと瞬かせた。
「何が?」
山本はニカッと笑いかえす。
きっとさっきよりも、いい笑顔のはずだ。
「大好き、ってこと」
「…?」
ただ自分は、教えてくれたことをすればいいだけだったのだ。十年前の屋上ダイブで、数年前の会議の席で、いつかの他愛ない会話の中で、ツナが教えてくれたことを。
――だって、守りたいんだから。
そう言ってはにかむ彼に、誓ったのだ。自分は。
首を傾げる彼に、そして今この時を共に生きる彼に。
同じ誓いを、もう一度。
「ツナは俺が守るよ」
「…うん」
ツナは笑ってくれた。今はそれだけで十分だ。
「じゃあ、俺は、山本を」
「え?」
呆けた顔の山本武に、彼の大好きな笑顔で。
「俺が山本を守るよ」
「…ああ!」
忘れない。忘れてないよ。
君が教えてくれた、戦いの意味を。
終
これは山ツナ企画サイト「雨天決行ピクニック」様内10年後祭様に捧げさせて頂いたものです。
愛するひとが自分のために戦ってくれるのは嬉しいけど、それで誰かを傷つけるならばツナはそんな戦いさせてくれないんだろうなあ、と思います。骸戦もヴァリアー戦も、みんな自分の大事なもののために戦っていたんでしょうね。敵味方関係なく。
山本はツナのためなら何でも躊躇わずにしてしまうお方なので(山本に限らずですが)、ツナがやんわりそれを止めてくれたらいいなと思って書きました。
かなり前に書いたものなのでつじつまが合っていないところがあるかもしれません…。申し訳ない。
それではここまでお読みくださり、ありがとうございました!
08,1,23
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