標的二←

→シャマル


  「ふんふ〜ん♪」


 この世には、想像を絶する人間が多々存在する。
 その中でも、いわゆる「天然」というのは特殊な種族である…と、鼻唄を歌う息子を見て、沢田ひかるは思っている。


「よいしょっ、と」


 子どもっぽい大げさな動きで靴を履き立ち上がった家光を見、ひかるはため息をついた。
 昨夜マフィアの事を明かした後、家光はぴょんぴょん飛び跳ねて喜び、今すぐ戦いたいとまで言い出した。
 無論マフィアは戦うことが日常茶飯事だが、それ自体が仕事なのではない。シマをめぐる抗争や取引の破綻等、理由はきちんとあるのだ。簡単に言われると、昔からこちらの世界にいるひかるとしては面白くない(実際はそんな単純な感情ではないのだけれど)。遊びじゃないんだから…。


「行ってきまーす!」
「…行ってらっしゃい」


 元気よく飛び出していく息子を複雑な表情で送り出し、自分も外に出る。見上げると、空はよく晴れていた。吹くのは気持ちよい追い風…走っていきたくなる気持ちもわからないではない。


「……」


 まだ検討の段階だったが、こうなれば仕方がない。夫に後から文句を言われるだろうが、そんなことはどうでもいいし。
 彼女にとって何よりも大切なのは、家光が立派なマフィアになること…というよりは、彼が安全で幸せな生活を送ることだった。マフィアで安全かつ幸せな生活というのも難しい話だが。
 視線を家光が走っていった方向へ向け、決心をする。
 ひかるは踵を返し、本国へ電話をかけるため家に入っていった。










『沢田家光。十四歳。並盛中学校1−A、出席番号二十一番』


 白い紙にそっけないイタリア語が並ぶ。


『初代ボンゴレの血を引くが殆ど日本人(ジャッポーネ)。父・沢田家綱、母・ひかる。いずれも優秀なヒットマンである』
『勉強駄目、運動も駄目。底抜けに明るいのだけが取り柄の普通の少年。この度九代目の補佐候補として抜擢された』
『これまで日本人に光が当たったことは少なく、異例のことである。それゆえ可能性・能力は未知数』


 そこまで読んで、少年は動かしていた目を止めた。暫く書類を凝視し、頬杖をつく。


「――『備考』」


 低音で響く流暢なイタリア語が、形のよい唇から流れ。


「『ボンゴレ本部の予測としては』…『ヒットマンにはむいていないかと思われる』」


 少年は窓の外――眼下に広がる町並みを眺めた。飛行機の四角い窓に切り取られたその町は、彼の故郷とはまるで違った様相を見せる。
 まあ、彼にとってそんなことはどうでもいい。


「ジャッポーネの可愛い子に、いっぱい会えるといいな〜v」


 自分に与えられた任務をすっかり頭の外に排し、若きヒットマンはニヤニヤ笑った。











 沢田家マフィア騒動から二日後。
 家光は学校で、不測の事態と戦っていた。


「はあ…」


 賑やかな周りの生徒達を眺めて家光はため息をつく。
 折角自分がマフィアだとわかったのに、両親(特に母親)から絶対に他言無用だと言われてしまった。まあそれはこっそりやればいい。問題は、誰も信じてくれないことだ。


「なあ、俺、マフィアなんだってさ!」
「…は?」


 こんな会話の繰り返し。誰もまともに取り合ってくれなかった。
 そりゃあいきなりマフィアだと言われて信じられる方が異常である。更に「マフィアなんだってさ!」が良くなかった。「マフィアなんだ!」ならただの冗談として笑えばいいが、「マフィアなんだってさ!」では「じゃあお前は自分自身マフィアだって思ってないの?」「誰に言われたんだよ…それも信じたのか?」になってしまう。
 少し考えればわかりそうなことだが、家光は自慢する気満々だったので机に突っ伏ししょげるしかない。


「はあ…」


 今度はもっと大袈裟に息を吐く。だからといって誰が気に留めるわけでもない。


 ――別にいいけど、さ!


 いじけていると、明るい話声が耳に届いた。


「ねえ奈々、放課後ヒマ?」
「今日?」


 家光は横へ目を向ける。そこには、楽しそうにしゃべる二人の少女。
 その一方に、家光の目は釘づけになる。
 肩まで伸びた茶色の髪、大きな瞳、輝く笑顔。


「今日は…ちょっと無理かなあ」
「またー?」


 ――どんなに無視されたって俺が学校に来るのは、綾華院(りょうかいん)奈々が見られるから。


 なんてったってかわいくて…。


「ごめんねー」


 ――無邪気な笑顔は、サイコー!


 家光はデレデレ顔になって笑顔の想い人を見つめる。


「やっぱりあんた、彼氏いるんでしょ?」
 ――え?


 想い人の友人の放った一言に、家光は固まる。
 言われた奈々はというと、目をぱっちり開いてキョトン。意味がわかっていないらしい。


「だってさ、奈々って大抵用事あるっていろんな誘いとか断わるじゃない?彼氏、ってのが自然な流れでしょ」
「ち、違うよ!」


 慌てて手をぱたぱた振る様はとても可愛らしいのだが、家光は口を開けたままガッチリ固まってしまっていた。


 ――奈々ちゃんに、彼氏!?そりゃ可愛いんだからわかるけど…うそぉ…。


 そして体全体が上下するほどの、今日最大のため息をつく。普段はそんなことを考えない家光も、流石に家に帰りたくなってきた。


「もう、その話はやめ!そういえば今日転校生来るんだよね」
「えっ、マジ?カッコいい大人な男の人だといいな〜」
「実(みのり)ったら〜」


 あはは、と楽し気な笑い声も、家光には残酷に響いたのだった。


「ほらほら、みんな席につけー」


 教師ののんびりした声と共に1-Aの生徒達はがやがやと騒ぎながら席についた。入学してまだ数か月というこの時期に転校生は珍しい。純粋にどんな生徒かも相まって教室全体が朝からソワソワしていた。
 家光はと言うと、とりあえず奈々ちゃんが好きになるようなカッコいい奴じゃありませんように!…と祈るばかりである。しっかり手を合わせて神頼みする様子を隣りの生徒が不思議そうに見ていた。


「今日は転校生が来たぞ。入りなさい」


 皆の視線を受け、教室の扉がガラリと開いた。












08,7,26