「すみません、なんだか…」
「いえいえ、どうぞ」
苦笑に苦笑が返ってきた。
ロマーリオさんとボンゴレ
黒塗りの車。車種に詳しくない綱吉はそれがどんなに高いのか予想するしかなかったが、少なくとも良いものだということはわかる。傷をつけたりしないように緊張しながら、後部座席に乗り込んだ。助手席の、後ろ。
運転席に座ったロマーリオは、冷房を少しだけ入れる。エアコンの吹き出し口を向けないようにするのが丁度いい。このマフィアのボスは細いし、あまり寒くすると風邪を引いてしまうだろうから。そんなことになったら自身のボスに酷く怒られる。減給くらいは避けられないかもしれない。
ディーノがここ日本で会議に参加するというので、ロマーリオは会議場所の高層ビルの前に黒塗り高級車を横付けし、煙草をふかしていた。
そこにいつも通り、ツナが慌てて走ってきたわけである。
このボスはいつも走っているなあ、というのがロマーリオの素直な感想だ。もともと「ボスの弟弟子」なのでディーノと重ならせることも多いのだが、かの跳ね馬はこんなに走ってはいない。昔はそうだったかもしれないが、それにしたってこんなには。
ロマーリオはバックミラーでちょこんと座ったツナに目をやって、再度苦笑。小さいボスは遠い後部座席も相まって、ますます小さく見える。
ディーノに懐いているツナは、走っていた理由はわからないが案外素直に車に乗り込んだ。イタリア随一のマフィアのボスとして、それはどうなのだろう。
まあおそらく、どこかですべてを見ている家庭教師がいるからこそ、なのだろうが。
「すみませんロマーリオさん…突然、その」
「遠慮しなさんな、ボンゴレ」
ツナは黒革張りのイスにどうしようもない居づらさをひしひし感じつつ、眉尻を落として笑う。
この少年特有の、微笑み。
「あぁ…」
胸ポケットの煙草に無意識に手を伸ばし、ロマーリオはつぶやいた。
「?どうかしました?」
「いやあ…不思議だなあ」
ズボンのポケットから取り出したのは、年代物のライター。手への馴染み方はエモノのそれをはるかに超える。
軽く振って蓋を開け炎を灯し、咥えた煙草に近づけ――慌てて離す。
相手が子供だからと少し気を抜いていた。ツナは格上マフィアのボスである。この場合(あり得ない話だが)たとえ相手がヘビースモーカーだとしても煙草は控えるべきだろう。下っ端マフィオーゾでもこんなことはしない。
カチリと蓋を閉じつつ、苦笑。腕が鈍った…というか、気を抜きすぎである。
――こりゃあボスにどやされるな。
まあ後ろの少年はそんなことには気づかないし、いいのだけれど。
「ロマーリオさん」
バックミラーに目を向けるとツナがこちらを見ていた。視線がしっかり合ったので、彼が見ているのはバックミラーそのもの。自分の後ろ姿ではない。
見た目はどこにでもいる少年にすぎないのだが、この子はよく人の目を見て話す。
それは、ボスに足る才。
「ディーノさん…煙草、嫌いなんですか?」
「え?」
「ロマーリオさん、さっきから吸わないんで…」
へら、と笑って、ツナは言う。
常識的に考えても目上の者の前で煙草は吸わないと思うが、この少年はジャポネーゼで、つい最近までごく普通の一般中流家庭に育ったわけで。
「ボスはボスでも、貴方の方ですよ」
「え?」
きょとんとしたツナに、煙草の箱を振ってみせる。
「健康を損ねるしねぇ。そもそもボスの前で煙草を吸うのは失礼ってもんでしょう。まあ…」
胸ポケットに煙草をしまい。
「うちのボスは煙の匂い、結構好きなんですがね」
「ディーノさんが?」
振り向くと興味津々、といった顔の若きボス。
ここまで言ったら話さないわけにもいかない。
「まだ幼少の頃、ボスを車に乗せていろんな所に行きました。助手席に乗せて、ね。で、あるときつい癖で煙草を吸っちまって。そしたらボス、煙にむせて泣きそうになったんですよ」
「ディーノさんが!?」
ツナは憧れの兄弟子の小さな頃を想像してみた。確かに仲間がいないとダメダメだが、煙草の煙にむせる姿なんて考え付かない。
「でもボス、それが悔しかったんだろうなあ…。それから俺が運転するときは、必ず煙草吸えって言ってな」
「くやしい…か」
ツナはちらっと窓の外に目を向けた。あまり来ない場所なのでよくわからないが、外には灰色のビルがただ立ち並ぶばかり。
ツナにとって煙草の煙はどうやったって好きになれるものではないし、苦手だって恥ずかしくもなんともない。こういうところは同じダメダメ生徒でも違うのだな、と虚しくなる。
ロマーリオは懐かしそうに黒い目を細める。
「それからは、逆に煙が香ってないと落ち着かないとか言い始めましたね…。まあ、強がっていたんだろうなあ」
「あの」
ツナの小さく、けれどとても凛とした声が、車内に響いた。
「ロマーリオさん、吸ってください。煙草」
「…ぇ?」
「それで、あの…もしよかったら」
頭を下げたのか、ただ頭を垂れただけかわからないが、ツナのつむじが目に入った。
「助手席に、行ってもいいですか?」
ロマーリオは驚いた。驚いて、しかし何に驚いたのかよくわからないことに更に驚く。
プロの殺し屋である彼にしては珍しく、一瞬目が行き場を失った。
気づくと隣の空席を見つめていた。誰もいない何もないその場所は、確かに彼のボスの特等席。どんなときも他の人間が座ったことはない。
「ディーノさんの気持ち…少しは、わかるかなって」
「……」
「身勝手、ですよね」
すみません。ツナは頭を上げ、またあの笑顔になった。
眉尻を下げ、申し訳なさそうな、それでいて現状がなんてすばらしいのだろう!と言わんばかりの不思議な笑顔。たぶん本人は気づいていないのだろうが、そんな顔一般人にはできない。
バックミラーで見る若きボスの笑顔は、十代とは思えない力を帯びている。
ロマーリオはつばを飲み込んだ。今まで幾度か体験したことのある感覚。自分より遙かに強い者の持つ、心の強さ。
――これが、大空。
「いいですよ」
「えっ!」
笑顔で言ってやると、ツナはぱあっと明るい顔になった。
そっと取っ手に手をかけ右側のドアを開ける。そして助手席へ。
ツナは遠慮がちに乗り込み、ゆっくり視線を巡らせた。
ロマーリオは握ったままで熱を帯びたライターを一度強く握り締めてツナの前に差し出した。
手のひらに納まったそれをゆっくり開く、その様をツナの目が追いかける。
煙草を一本だけ取り出して、炎を灯した。ゆらりと揺れるオレンジ色の光がツナの瞳に揺らめいて映って、少年の瞳が本物の琥珀のように見えた。
煙草はその身を燃やし、細い煙を上げ始める。口にくわえ、白い息を軽く吐き出すと、ツナは笑った。ロマーリオも笑う。
「どうだい、ボンゴレ」
「あ、いえ…やっぱり、煙草は煙草だなあ、と…」
「?」
首を傾げつつ窓を開けると、ツナは口元へと指先を伸ばした。幼い唇に指が触れる。
「獄寺くんもよく吸ってるんですけど…うーん、なんていうか……それが獄寺くんだとか、ディーノさんに結びつかないなあって」
「ほー」
「いや、あの、すみませんヘンなこと言って!せっかくやってもらったのに」
「いやいや、わかりますよ。言いたいこと」
煙草の形。煙。におい。それらすべて、結局は煙草でしかないのだということ。
彼らを、自分たちは煙草から連想しようと躍起になる。けれどそれは、単なるきっかけでしかない。そもそも一個人をこんな小さな物体から思い出そうとするのが間違っているのかもしれない。
「わかり、ますよ――」
本当にこのボスは、先を見ているのだとロマーリオは思った。
その人間の中に潜む真実を。その人、自身を。どんな虚構に阻まれてもただまっすぐに見つめることができる。
このまま二人っきりでいたら、自分も暴かれてしまうのではないだろうか。
それはそれで興味深い話ではあったが、同盟関係とはいえさすがに他のファミリーに個人情報を垂れ流すのはよろしくない。また、個人的にも少々遠慮したいところであった。
こういうとき、卑怯な大人が出る手はひとつ。
「ところでボンゴレ、さっき走ってたのは、どうしたんですかい?」
「え…ああっ!?」
ツナははっと目を見開くと腕時計を確認した。みるみるうちに顔が青ざめたところを見ると、さてはあの家庭教師殿に怒られでもするんだろう。
「すみません!俺、そろそろ…!」
「はいよー。お気をつけて」
ほとんど返事を聞かずにドアを開けたツナを、片手を軽く挙げて送り出す。
すると。
「ツナっ!」
「うおうっ!?」
飛び出したツナの目の前にいたのは、ロマーリオのボスであり、ツナの兄貴分。今日はいつもと違う上下スーツでキメているが、ツナに会えて嬉しい当の彼は顔を満面の笑みで溢れさせていて、少しだらしない。
ロマーリオは辺りを見渡した。さすがにこの姿を取引先に見せるのは忍びない、と思ったからである。
ディーノの胸に顔をぶつけ、そのまま抱きしめられたツナは混乱しながら彼を見上げた。
「でぃ、ディーノさ…」
「どうしたんだこんなところで?あれ、まさか俺に会いに来てくれたのか〜♪」
「まあ落ち着いて下さいよボス…」
ボンゴレは急いでるんですよ、と子どもに言い聞かせるようにたしなめると、彼はそれこそ子どものように、ツナを一層強く抱きしめて眉間に皺を寄せた。
「なんなんだよロマーリオ。せっかく俺とツナが会えたんだから、有能な部下としてはここは席を外すべきだぞー?」
「へっ!?ディーノさん、俺にはお構いなく…!リボーンが待ってるんで!」
ディーノの言葉を勘違いして捕えたツナは、ばたばた手足を動かして逃れようとする。がしかし、相手は一回りも二回りも大きな大人だ。ツナでは抵抗してもほとんど意味がない。
「リボーン?ああ、また無理難題押しつけられたのか?ははっ、大変だな」
「笑い事じゃないんですよ!」
「わかったよ。ロマーリオ」
はい、と返事をすると、視線がやってきた。こういうとき、ボスの考えていることが手に取るようにわかるのは、長年の付き合いの賜物以外の何物でもない。
小さく息を吐き出すと、車から降りる。その様子を見てツナが目をまるくした。
ディーノが肩をぽん、と叩く。
「ほら、乗りな。俺が送っていってやるから」
「え、いいんですか!?」
その提案は願ったり叶ったりだったようで、ツナは頬を紅潮させて喜んだ。
ディーノはそれを見て綺麗な笑みを浮かべ、頷く。自分はロマーリオに代わって運転席に乗り込むと、ツナが乗るのを待ってエンジンをかけた。外車の大きな体躯に見合った、大きな音がビル街に舞う。
ボスからひどく楽しそうな雰囲気が漂ってくるのを直に感じて苦笑しながら、ロマーリオは軽く会釈した。
「ロマーリオ」
「はい」
エンジンがうるさくて声がよく聞こえない。ロマーリオは耳を澄ますにはどうしたらよいかと一瞬考え、しかしそれは杞憂に終わった。
「お前、ボスの恋人を横取りする趣味でもあったのか?」
「!ぼ…」
「なんてな。冗談!」
彼はいたずらっ子のように笑うと(しかしそれには確実に自身への自嘲も含まれていたのだけれど)、勢いよくアクセルを踏み込んだ。直後、顔は見えなかったが「うぎゃあああ!?」というツナの悲鳴がエンジン音の挟間から聞こえ、高級車はものすごい加速とともに走り去った。
粉塵が巻き上がる中、ロマーリオは息をついた。
――まったく、ぼっちゃんは、いつまでもぼっちゃんだ。
ビルに阻まれた狭い狭い空を見上げる。一人に対してまっすぐになれるのは、ツナもディーノも同じなのだろう。そんなボスに仕えることを、誇りに思う。
気づくと、煙草を口に咥えたままだった。そんなにも動揺していたのか、自分は。
「情けないねえ…」
ただ願うのは、二人のボスが素敵なドライブを楽しめますように、とのこと。
口先の煙草をつまんで、地面に落そうとし――肩をすくめて、携帯灰皿に入れてみせた。
終
すごく前に途中まで書いたものが発掘されたので書いてみました。が、おかしい話に…。
草壁さんとツナの話と微妙に連動しています。続き物ではないですが。
ボスがいつまでも子どもの心を失わないと、部下はそれなりに嬉しく、それなりに大変なんでしょうね。
08,4,8
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