リー、リー、リー!
ポケットの中で振動する携帯電話に鈴は小さくため息をついた。水道の栓を閉め、エプロンで濡れた手を拭き携帯を取り出す。メールが着たことを知らせる白いランプが点滅しているのを見ると、改めて嫌になった。しかし見て返事をしなければ色々と面倒なことになるのは経験上わかっていたので、またため息をつきたくなるのを抑えて携帯を開く。
メールの差出人は青道和真――鈴の幼なじみであり、ジムの若手でもトップクラスの実力者だ。顔がいいから雑誌の表紙を飾ることもしばしばだったが、「あの一件」で目が覚めたらしく最近は鈴の父・敦志に逆らって必死にキックボクシングに励んでいるとか。それ自体は非常に望ましいし、鈴だって迷いがなくなって王座を目指す青道を応援したい。
しかし。しかしである。
鈴はメール内容を確認し、盛大にため息をついた。
to鈴
from和真
あいつはどうしてる?
「……」
最近青道からのメールは常に「あいつ」で溢れている。
飛嶋閃。更正と称して連れてこられた柄の悪いヤツ、というのが第一印象。けれど実際は、自分の父を誇りに努力するなかなかいいヤツだ。年下の面倒をよく見るし、無駄に乱暴な訳でもない。まあしばらく一緒に暮らしてみて、女に興味がないというか、そもそも恋愛事に疎そうだということも発覚したのだが。
とにもかくにもその飛嶋閃に青道は影響を受け目が覚めたのだが、なんというか…それ以外にも興味を持ってしまったようなのだ。鈴はここ数日似たような内容のメールばかりが続きさすがにこれはおかしいと思い始めていた。
仕方なく返信する。
to和真
from鈴
Re:
別に。いつも通りよく食べてよく寝てケンカして・・・あいつは元気だよ。青道は調子どうなの?
読み返し、差し障りがないか確認する。気を抜くと地雷を踏みかねないからだ。即ち、閃のことをどう思っているか、などと。
――まさか、ねぇ…。
メールを送信し洗い物に戻る。人数が多いからこれだけでなかなかの大仕事だ。
今まで青道から送られてきたメールは閃の調子を事細かに教えろと要求する内容だったり、龍生が閃に何かちょっかいをかけていないか危惧する内容だったり、まるで好きな人か恋人を気にするものである。激しい練習の合間に一体何をしているんだか、と鈴は微妙な気持ちである。
大量の皿と向かい合っていると、またポケットの携帯が唸りを上げた。
舌打ちをしたくなる気持ちを抑え、鈴は先程の動作を繰り返す。メールを確認し、眉間に皺を寄せた。
to鈴
from和真
Re:Re:
俺は元気だよ。で、あいつとは何もないんだな?
「何も」ってなんだと携帯に向かって言いたかったが耐える。生まれた時から格闘一家で過ごしてきた鈴は、彼ら特有の考えの飛躍加減や突飛さには慣れてしまった.要はこちらの基準で計ろうとしても無理な話。
洗い物で冷たくなった手が熱を帯びるのを感じながら、返信する。
to和真
from鈴
Re:Re:Re:
閃って強くなること以外に興味なさそうだし、別に何もないわよ。ちょっと子ども思考だし、あんまり女の子に興味ないんじゃない?
バチンと片手で携帯を閉め、ポケットに滑り落とす。
蛇口をひねって水を出したその瞬間、
「え…」
確かに布越しに感じる振動。まさかと思って携帯を取り出すと、メールが一件……。
急いで開き確認する。
to鈴
from和真
Re:Re:Re:Re:
だろうな。そんな感じする。
で、孝記は?あいつに何か興味持ってるのか?まあ持ってたところで負ける気はしないけどな。
――あのねえっ・・・!
これはもう完全に、ライバル視の次元を超えている。というかこんな時間差でメールするなら電話してくればいいのではないか?こっちだって暇じゃないのに一体何考えてんの!とさすがの鈴も苛立ってきた。かといってすべて丸投げすれば今度は鈴の祖父――源矢にまで青道の追求が始まりそうである。閃本人に押し付けるという手もなくはないが、あの調子では色々勘違いを起こして突っ走ってしまいそうだし…。しばらく共に過ごして母性本能的な何かが芽生え始めていた鈴は、閃を売るのは気が進まなかった。
to和真
from鈴
Re:Re:Re:Re:Re:
いい加減にしなさいよ和真!ていうか、暇なら電話すればいいでしょ?
to鈴
from和真
Re:Re:Re:Re:Re:Re:
別に暇じゃないさ。こっちだって練習の合間にわざわざメールしてるんだ。
それであいつ、毎日どんな練習してる?まさかとは思うけど、孝記とストレッチなんてしてないよな。そうだったらすぐに別の奴に変えてくれ。
to和真
from鈴
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:
なんで孝記と閃がストレッチするのが問題なの!?だいいち孝記は閃に興味なんて…なくもないかもしれないけど!それになんで「あいつ」なの?飛嶋とか閃とか名前で書いてくれないと混乱するってば!
to鈴
from和真
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:
う・・・うるさいな!ともかく鈴はあいつの情報を教えてくれればいいんだ!
「〜〜〜〜っ!」
鈴は携帯を握り締めてぎりぎり歯を噛みしめた。改心したと思ったが相変わらず勝手過ぎる!人を何だと思ってるのかしれないし、好きな人の名前を呼べないとかって子どもかアンタは!…と叫びたかったが、それは音にならなかった。桜和田の紅一点も伊達ではない、ということか。
鈴が怒りのオーラを纏っている姿を台所の外から脅えた久太やら訝しげな顔の久恵やら何も考えていなさそうな龍生やらが覗き込んでは通り過ぎて行き、各々の部屋へ向かって行った。
最後に現れたのは閃だった。不思議そうな顔で台所へ入ってくると、鈴の携帯を覗き込む。
「どうしたんだ?怖い顔して」
「……ごめん、閃」
「へ?」
「健闘を、祈るわ…!」
泣き笑いのような鈴の顔にギョッとしたものの、閃はおう、と肯く。
鈴は携帯のアドレス帳を開いた。
to和真
from鈴
閃に変なことしないでよね! これ、閃のアドレスだから。
XXXXXXXXX@XXX.XX
ほんと、変なことしたら怒るからね!?
メールを送信し、電源を切った。
まだ事態が飲み込めていない(これで飲み込めるはずも無い)閃はきょとんと小首を傾げていて、鈴はごめん、と心中で謝り、さらにその仕草はちょっと可愛いかもしれない、と思ってしまって、ため息をついたのだった。
その後、鈴がとった行動は様々な波紋を巻き起こすのだが――
とりあえず今が平穏なら、それでよし、ということで。
終
無いなら自給自足だ!ということで。キックアウト閃より青道×閃。
ジャンル自体がマイナーなのでアレですが…でも空月は閃受けを押してます!
07,3,2
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