飴と愛

 三橋はじ、と彼を見つめていた。
 三橋のみならず、その場にいた全員が彼を見つめていた。ある者は彼の優しげな眼差しを、またある者は素早く動く手の所作を、そしてある者は彼の手元にある、三橋の答案用紙を。
 最後の仕上げとばかりに赤ペンで大きく円を書いて、西広は微笑んだ。

「はい終わり。合格だよ、三橋」
「うおっ…!」
『はああああぁ…』

 目をキラキラさせて解答用紙を受け取る三橋の周りで、他の部員たちは大きく安堵と疲労のため息をついた。
 今日も今日とて三橋宅で勉強会だったのだが、当の三橋は相変わらず試験範囲がわからないところからのスタート。なんとか皆で代わる代わる全教科の基礎をまんべんなく教えてやって、総まとめのテストが今ようやく終了した、というわけである。
 満点とまではいかないが前よりだいぶ間違いも減り、要領がつかめてきたようだ。
 いい傾向だな、と三橋専属教師になりつつある西広は思って、同時に少々寂しくもなる。子どもの巣立ちを見守る親の気持ちと酷似していて、その実まるで異なるその想いに気づいてはいる。
 それでも相手が三橋だから、気持ちゆっくりでいい。
 いつもよりたくさんの円が並ぶテスト用紙を心から嬉しそうに三橋は見つめ、しわが寄るのも気にせず抱きしめた。それはたった十問足らずの西広の手作りテストではあったが、三橋からすればとても大切なものなのだ。
 テスト用紙を抱きしめながら目を細める三橋を見て、西広は自然と頬を緩ませる。ああ、かわいいなあ、と、さも当然のように思った。
 他の部員たちは三橋が基礎地獄から抜け出したことに安堵して、ようやく自分の勉強に戻っていった。それぞれ苦手教科は違うのだし教える側にも持ち場や分担があったのだが、皆いつの間にか三橋のそばに集まってしまうのだった。
 彼ら自身意識してやっているわけではないのだろうその行為に西広は苦笑し、同時に歯がゆさも感じる。
 自分は、野球で三橋と繋がることは、これからもおそらく、ない。
 それは悲しいかな、他の部員たちが元気で野球をやっていれば永遠に訪れないのだ。三橋が休んでいるときはかろうじてポジションは生まれるけれど、それでは本末転倒である。
 だからちょっと邪道で、裏技的で、ずるいかもしれないけれど、このささやかな勉強会は三橋のそばにいられるチャンスだ。こんなとき、自分が多少なりとも勉強ができたことを嬉しく思う。
 野球を教わっている自分がみんなに、三橋にできる恩返しだから。



「……あ、の、」

 西広ははっとして顔を上げた。普段頭の中をぐるぐる回っていることについて、深く考えすぎていたらしい。
 三橋は不安そう…とまではいかないものの、幾分控えめにこちらを見つめていた。

「あ、ごめ、ぼーっとしてた、はは」

 誤魔化すように笑って次の課題について頭を回転させる。切り替えは、たぶん早い方だ。
 もう基礎は終えた。本当は遅れているぶんを早く取り戻したいところだが、焦りは禁物である。
 まるで恋みたいだなんて思って、頭を振った。隠しようもない苦笑い。

(まったく、全然ダメじゃんか、切り替え)

 とりあえず暗記モノは後回しにして、数学に取り掛かることにした。
 教科書を、とんとん、と揃えて、テーブルを挟んで向かい合う。

「えぇと、次はね、ちょっと応用問題に入ります」
「は、いっ」

 律儀に正座で(すぐ足が痺れるのに)、西広が敬語で言ったせいか敬語で返してくる三橋が愛しい。微笑ましいからといってむやみに笑うと勘違いされそうなので、ちょっと口の中を噛んで自分を諌めた。

「じゃあまず、ここが…」

 二人で教科書を覗き込む。
 こういうとき、西広はあまり三橋を見ないようにしている。顔が近すぎて勉強を教えるどころではなくなるから、はもちろんなのだが。
 できるだけ目の前の教科書に集中して、ここの数式がどうだとか、文章題の解き方云々とか、目を合わせずに教えてゆく。そして一通り教え終わって、

「わかった?」

 聞くと、

「はいっ!」

 とても、とても幸せそうな、輝く笑顔。
 新しいことを知って、覚えて、使えるようになってゆく。非常に単純で基本的だけれど、それ以上の幸せはなかなかない。
 野球をやっている三橋も大好きだけれど、こんな日常の中の三橋も、西広からすれば輝いて見えるのだ。
 今日も例に漏れずそんな満面の笑みを見せてくれた想い人に、同じように優しい笑顔を返して、西広はズボンのポケットに手を伸ばした。

「三橋」
「はい?」

 敬語が抜けきっていないまま、三橋は小首を傾げる。
 あ、抱きしめたい。素直に思ってしまうのは、仕方ないとして。
 西広は周りを見渡した。他の面々は自分の勉強に集中していたり、難問がわからず唸っていたり。某四番などは飽きてきたらしく何やら騒ぎ始めている。それを制止する声が、三橋の部屋をより一層騒がしくしているのだが。
 視線を三橋に戻して、西広は微笑む。

「さっきのテスト、よく頑張ったね」
「へぁ…う、うひっ」

 そんな台詞だけで顔を真っ赤にするのはいろんな意味でちょっと勘弁、と思いながら。

「三橋、手ー出して」
「……あっ」

 ようやく何のことか思い至ったらしく、三橋はパッと顔を明るくさせて何度もうなずくと、勉強道具を広げたテーブルの下に、そっと右手を差し入れた。
 西広もポケットから手を出して、テーブルの下へ。
 目線は気持ち下気味に、けれど直接テーブルの下を覗くことはせず手探りで、互いの手を探す。
 手が触れた瞬間、三橋は少し肩を震わせる。嫌だからじゃなくまだ慣れていないせいだ。だからもっと慣れてほしいなと贅沢なことを思いながら。
 三橋の手の中に、ポケットから出したものを落としてやる。
 そして二人とも手を引く。その間たったの十秒足らず。
 三橋はてのひらをゆっくり開いて、閉じながら、春の花のように顔をほころばせた。

「あ、りがとう。西広くん」
「どういたしまして」

 二人で、ほがらかに笑う。まるでそこだけ春になったように。
 手の中の小さな飴玉が、三橋にぎゅ、と握りしめられた。
 西広は嬉しそうな三橋に、これって餌付けかな、と少々申し訳ない気持ちにもなったが、三橋がいいなら、いいや。と思った。


 彼は知らない。
 三橋の机の上で、西広お手製のテスト用紙がひとつずつきちんと、そこだけきちんとファイリングされていることも。
 今までもらった飴玉の包み紙が、引出しの奥に眠っていることも。







 彼から何かもらうたび、三橋が心の中で、「だいすき、です」と、つぶやいていることも。











相互記念にすわろうている。の琳野りん様に捧げさせて頂きます。リクは「甘い西ミハ」でした。

実は空月西ミハ書くの初めてで!というかあんまり読んだことないので世間一般様の西ミハと違うかもしれません;
というか甘いのかよくわからない仕上がりになってしまって。二人ともまだ付き合ってない!
りょ、両片思い…ということで!(苦しいな)
本誌の展開いかんで野球で二人が繋がるというのもあるとは思うのですが、西広くんは普段はこんな感じのことを考えているんじゃないかなーと。
すみませんあんな素敵なものをもらっておいていい加減な奴ですよ空月は…!

ちなみに題名は飴と鞭より。西広先生は三橋に対しては飴と愛だよ!という(笑)。

それでは琳野様、煮るなり焼くなり18.44m向こうに放り投げるなり(えええ)お好きにどうぞ!
相互&相互リクありがとうございましたーvvv





07,12,25



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