Summering beauty
あっつい。口に出すと余計に暑くなることを知っているのに、吐き出さずにはいられない。
額から。頬から首筋から、服の布地に触れているところから、そうでないところから。汗が吹き出して皮膚を伝ってゆく。むずがゆいとはまた違った妙な「かすか」さが、泉を襲った。ワイシャツの襟元を掴んで動かし風を送り込む。
西浦は公立で冷暖房はあってないようなものだから、夏は暑く冬は寒い。今は夏、だから暑い――もちろんそんなこと頭ではわかっているがどうも耐えきれない。だからやっぱり、誰も聞いていないとしても、暑いと呟いてしまうのだ。
廊下も当然のようにすべて窓が開かれているが、時折微風が舞い込む程度で本当に気休めにしかならない。壁や床は無機質なコンクリートでひんやりしているが、効果は望めない。
そんなことを暑さでぼんやりした頭で考えながら、泉は腕時計を確かめる。授業が終わってしばらく経っている。そろそろ日が傾き始めるかなと思い、けれどこの暑さはまだまだ消えないのだろうとうんざりする。高校球児にあるまじき考えかもしれないが、夏など早く終わってしまえばいいのにとさえ思う。
廊下を進み階段を降り、あまり立ち入らない階を歩く。すぐに左上にプレートが見えた。「図書室」。
あまり音を立てると怒られるのでそっとドアを開ける。カラカラ、という乾いた音が耳にこびりつき、すぐ離れていく。頭はぼんやりを続けている。
左手のカウンターに図書委員が座って本を読んでいて、前には六人掛けの机とイスが並び、右手には本棚がどっしり腰を据えている。
テスト期間中、図書室は野球部にとって恰好の避難所になる。冷房が微弱だが入っているし場所さえ確保できれば集まりやすい。ときどきうるさくて追い出されそうになるが、テスト期間中はけっこう黙認されるというのがここ最近判明した。
――本見てんのか?
正面の机にあのヒヨコ頭がいないので、泉はきょろきょろ辺りを見渡した。本棚の陰で寝てるんじゃないだろうなと思いながら、一列一列見てゆく。
重いようなだるい身体を引きずって歩いてゆくと、本棚一番奥の列に、西浦のエースの姿があった。
三橋は壁と本棚に挟まれた狭いスペースに、身体を押し込めるようにして座り込んでいる。小さく開いた口から涎が垂れていて、手には一応参考書があるが市販のもののようだ。別に図書室で探していたわけではないんだろう。
――なんでこんなとこに。
泉は短くため息をつくと、若干ふらふらしていると自分でも感じながら三橋に近寄った。
三橋のすぐ目の前にしゃがみこむ。けれど当の三橋はとてもよく眠っていて、起きる気配が全くない。気持ちよさそうというよりは死んだように動かないので、微妙に心配になる。
「…風邪引くぞー」
「……」
声をかけるも三橋は微動だにしない。
三橋が死んだように見えるのは顔に光が差し込んでいないせいもあった。三橋を挟む本棚の反対側は窓のある壁だったが、曇りガラスなのか光が吸い取られてこの時分にしてはまぶしくない。そのせいかこの場所は図書室の中でも特に涼しいようである。
そう考えると泉にも得心がいく。涼しい場所を追い求めてやってきたら、こんな隅っこに来てしまったのだろう。
動物かお前は、と小さく吹き出す。
しかしどうしたものか。三橋の家での勉強会ならまだしも、ここは学校である。このままにしておくわけにもいかない。
泉が首をひねっていると、
「あれ、どーしたの」
「水谷」
後ろからの声に振り向くと、授業が終わったのか掃除がなかったのか水谷の姿があった。ちょっとくせ毛の彼の髪は、暑い時期には鬱陶しく見えるようだ。泉の頬を汗が伝う。
「なんか、待ちくたびれて寝たみてー」
「うわ、マジで〜」
へらりと水谷は笑い、そりゃあ風邪引くよ起こしたら?と至極当たり前のことを言ってくる。
泉は三橋を振り返り、そうだなと小さい声で言った。けれどそれ以降三橋を見たまま、行動に出ようとしない。
水谷はそれをじっと見つめて、納得したように息を吐く。
「うん、うーん、わかった」
「何が」
「もう少し、ここにいれば?まだみんな集まってないよ」
俺来たときも誰もいなかったもんね、一体どこにいるんだろ。水谷は別段困った風でもなく笑うと、本棚から顔を出して図書室を見渡した。
泉の眉間に皺が寄る。
「…えぇ?」
「だから、ここにいろって言ってんの」
次の瞬間の水谷の笑みはいつものおちゃらけたものとはどこか異なっていて、泉は身体を固めた。実際用心するようなものでもない気がするが、なんとなく反射的に。彼の悟ったような笑みなど、滅多に見られるものではない。
「三橋、起こしてね」
「あー」
「王子様のキスなら起きるかもよ〜」
「は?」
眠り姫、だもんねぇ。
水谷はケラケラ笑って本棚の向こうへ消えていった。最後に、じょうだんじょうだん、と言ったような気がしたが、定かではない。言ったかもしれないし、言っていないかもしれない。泉がそう言ってほしかっただけかもしれないし、もしくは、言ってほしくなかっただけ、かもしれない。
三橋に向き直る。やっぱり死んだように寝ている。息をしているか確かめようかという考えが瞬間思い浮かんだが、まさかそれはないと思い直す。まさか、そんなこと。
そっと三橋の顔を覗き込んだ。こんなに暑いのに――あれ、今暑かったっけ?――三橋は汗一つかいていないように見える。陰で、肌が白く硬く、人形のように見えた。
口を開くと、喉がカラカラで張りついていて、すぐに声が出なかった。
「みは、し」
想像以上にか細い声が漏れる。図書室には他の人間もいるだろうに、静かすぎる気がした。
あれか。泉は沸騰している頭を働かせた。スポーツなんかで集中しすぎると何も聞こえなくなったりするっていう。でも今はスポーツ時でもないし。何かに集中もしていないし。
――王子様のキスなら――
先程の水谷の言葉を反芻する。あまりにバカバカしくむしろイラッとしてきたが、怒る気にもならない。
――馬鹿馬鹿しい。
「三橋」
少し大きめにもう一度。
「起きないと、キスするぞ」
言った。言ってみて顔色をうかがい特に変化がないのを見てとって、泉は額に手をやる。手は冷たかった。そのまま前髪を適当に握って、放した。
あきらめたように立ち上がり、踵を返した。本棚から離れるとき、最後にちらりと三橋に目をやったがやっぱり彼は目を覚まさない。王子役には俺よりも、うるさい田島や阿部が向いてるんじゃねーのと嘆息して、泉はその場を立ち去った。
しばらくして。
「……」
「みはしー」
「…は、い」
死んだように動かなかった三橋の口が素早く動いて返事を形作った。ぱちりと目が開いて、申し訳なさそうにまっすぐ目の前に立つ水谷を見やる。
水谷はにっこり微笑む。が、一メートルほどの間を詰めようとはしない。
「起きてたね」
「……」
「おこんないよ?」
別に騙されたのが泉じゃあねえ、と言う水谷の顔は楽しそうだ。
対して三橋は俯く。やはり狭い空間は身体の小さな三橋でもきつかったらしく、もぞもぞ動いて這い出てきた。
上目遣いで水谷を見上げる。彼は目を細め、三橋を見下ろす。
「あいつも、キスしちゃえばよかったのに」
「そ、れは…あう」
「あーあ、せっかく我らが眠り姫様が頑張ったのにな!」
次はもう少し、直球で行くとしませんか?
おどけて言った水谷の言葉に三橋は逡巡して――頬を赤くして、頷いた。
(I’m waiting for you only when I am sleeping…)
「Because she is a princess, you know, her prince?」
終
相互記念に<Fragile moonlit night>の月城桃華様に捧げさせて頂きます。リクは「イズミハ」でした。
なんだかイズミハなのに水谷が出張っていてこれどうなのという感じではありますが…「○○×三橋+■■」というタイプの話をあまり書かないので楽しく書けましたv(お前が楽しんでもな…)
うちの泉くんは男前ですがヘンなところで奥手な人です。そんなところも愛しいよねとズレたことを考えて書くからこんな妙な話になるんですね…orz
もちろん「Summering」というのは造語です。もしかしたらあるかもしれませんが、まあそこは気にしない方向で…!
意味は「夏の眠り姫」とか適当に取って頂けると!
こんな駄文で誠に申し訳ないのですが宜しければお受け取り下さい。燃えるゴミとして出してくださっても構いませんので!
相互リンクありがとうございました!
08,3,21
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