いつものふたり

「あれ」


 開口一番。泉の口から出たのは疑問だった。疑問といっても、たった二文字だけれど。
 それでも三橋は泉が何に対して尋ねたのかよくわかっていたので、弱々しく笑って朝の挨拶をする。


「おはよ、う。泉くん」
「はよ。田島と浜田は?」


 三橋は首を振った。いつもなら三橋のそばを離れない(田島の場合三橋をどこにでも引っ張ってゆくのだが)あの二人がいないのは珍しい。


「休み、だって…メール、が」


 ぽつりと言って三橋が見せた携帯の画面には『休む!』との文字。田島だな全く、と思っていると、次に見せられたのは何やら無駄に長文のメール。風邪を引いて熱が出て、でも三橋に会いたいな的なことがだらだらだらだら書いてあり、泉は内心「後で浜田殴る」と本気で思ったりした。
 しかし健康体の権化のような田島と留年経験のある浜田は滅多なことでは休まない。それも二人揃ってなど、珍しいこともあるものだと泉は首を傾げた。


「珍しいな」
「う、うん。さびしい、ね」


 ちらりと三橋に目をやる。
 微笑んでいるように見えるのは気のせいだろうか。頬がほんのり赤いのも、さびしいはずなのに微妙に饒舌なのも、泉がそう望んだ姿を投射しているだけ、なのだろうか。
 泉は息を一つ吐き、自分の席へ向かった。カバンを下ろし席につき、違和感にはた、と気づく。


 ――俺、「今」三橋とどう接した?


 朝一番に会って、話して――どのタイミングで、離れた?
 振り返ると数個後ろの席に座った三橋と目が合った。三橋はびくんっと身体を大きく震わせ目を泳がせる。
 野球部の中でも九組は特に仲が良いと、よく他の部員が言っている。常に行動は一緒だし、三橋をとにかく構いたがるムードメーカーな田島をはじめ、見ていてどこかほのぼのするらしい。
 いつもいっしょ。まあ実際その通りで、だからこそ今泉は眩暈がしているわけで。
 泉は三橋との距離感を計りかねていた。
 普段は田島や浜田がいて、それで「九組野球部の面々」として暮らしている。会話も、行動もすべて一定の枠を外れないでいる。けれど今は二人も欠けてしまっているため、正直かなりバランスが悪い。田島の暴走を止めることも浜田に毒づくこともできない泉は、そう言う意味では三橋の前で非常に手持無沙汰だ。
 別に彼らがいなくては寂しいだなんて思ったりはしない。つまらないとは思うにしろ、そんな子どもじみたこと。
 けれど三橋と二人だけの教室は、居心地が悪いというか、胸のあたりに妙な浮遊感を感じて居た堪れない。
 三橋も同じようなことを思っているのだろうか、とふらふら彷徨う視線を見つめて考える。
 先程の笑みといい、そこまで何かに戸惑ったりしている風ではないのだが。


 ――まあ、部活になれば。


 放課後、部活時間になれば他の部員たちもいる。そうなればこの微妙な空気も(もしかしたら泉が一方的に感じているだけだったのかもしれないが)晴れるだろう。そういうことにしておく。というか、田島不在に驚く部員たちを想像しただけで少し笑えた。
 そして三橋がちっともこちらを見ないので、気付かれないように小さく嘆息して前に向き直った。







 もしかしたら同じことを考えていて、なんてことを思ったりはしない。けれど、そういうこともあってもいいと思うのだ。








 授業を受ける。休み時間になれば話す。昼には一緒に食事もする。
していることは普段どおりなのに、休みのたびにどちらがどちらの席へ行くべきか迷うし、なんとなく会話は弾まないし、いつも以上に視線も合わない。
 もともと三橋と視線を合わせるというのは難しいことだった。泉は目が大きいから睨んでいるようには見えないらしくその点は良かったが、浜田に対して文句を言ったり田島に注意するときの台詞の厳しさにはまだどこか脅えられているような気がする。では彼らに三橋に対してと同じように接することができるのかと問われれば、速攻でノーだ。当たり前である。
 それでも一応今日の調子だとか昨日見たテレビだとかの会話をぽつぽつしながら、まるで不安定な綱渡り気分を味わいつつ時は過ぎた。過ぎてみるとなんてことはない、ただの日常へ変化する。
 二人はいつものように部室へと向かった。その間も泉はなんてことない風を装っていたが、やっぱり二人きりは駄目だなと強く思った。普段以上に意識してしまう。
 部室へ到着すると、泉は目を細め、三橋は目を丸くした。一見するとまるで違うものを見たような風体だが、これが二人それぞれの驚き顔だったりする。
 部室の前には監督が立っていた。それ自体不思議なのだが、もっと不思議なのは彼女が私服姿、それもジャージではなくワンピース姿なことである。髪も上にまとめすっきりした感じの美人であることに違いはないが、これから練習だというのに一体どうしたのだろうか。
 モモカンは二人を仁王立ちで迎える――そこはいつもと同じ――と、申し訳なさそうに頭をかいた。顔に浮かぶは苦笑い。彼女らしくもない。


「こんにちは、二人とも」
「ちわっす。どうかしたんですか?」
「どうもこうも…今日は二人だけ、なのよ」


 さっきから心の中で呟き続けた単語が他人の口から出ると奇妙だった。けれどそんなことはどうでもいい。
 ふたり、だけ?
 泉の横で三橋も口をぱっくり開けて驚いている。


「他の部員がね、みんな総出で休んでるってわけ」
「えぇ?」


 泉の怪訝な声ももっとも、とばかりにモモカンは頷いて説明を始めた。それによると病気だったり身内の不幸だったり急用だったりで泉と三橋以外の家から既に学校側に連絡が入っていたとのこと。つまり二人はこの学校で目下たった二人の野球部員ということになる。
 そんなことも露知らずに過ごせるものなのだろうか、と自問自答した。結果はもちろん「なんとかなった」だ。
 しかし。モモカンは更に畳みかけた。


「それで、ひどいことに志賀先生もいないのよ」
「シガポも!?」


 普段監督や先生本人の前ではきちんと名前を呼び分ける泉でさえあまりのことに素っ頓狂な声を上げてしまった。
 モモカンはそれに対して苦笑する。


「仕方ないから今日は部活は休みね。顧問がいない状態じゃ部活できないから」
「う、え、」


 ようやく三橋が何かうめき声のようなものを発した。部活がないということに対する彼なりの非難なのだが、モモカンに厳しい目を向けられてしまう。たちまち肩を縮こませて三橋は泉の後ろへ隠れた。
 モモカンは腕を組むと朗々と宣言する。


「学校の決まりだからしょうがないの!たまには休むことも重要だよ!」


 それだけ言って二人を取り残し、モモカンは去っていった。
 その場に風が吹く。枯れ葉でも運んできそうなそんな寒々しい状態に泉はため息をついた。
 今日は朝から何回ため息をついたか知れない。どうも調子が出ないのだ。
 みんなでいることがこんなにも当たり前になっていたのか、と自分のことながら感心してしまう。女々しいけれど、やっぱり寂しいのかもしれなかった。


「いずみ、くん」


けれど。


「ん、帰るか」


 カバンの紐をかけ直して三橋を連れ、泉は学校を後にした。







 目を見れば。一緒にいれば伝わるだなんて誰が言ったんだろう。
 言葉にしたって伝わらないこと、沢山あるのにね。









 二人はまだ日が高い中をゆっくり歩いた。
 不思議なもので、やはりいつもどんなペースで歩いていたかさえよくわからなくなっていた。
 どんな風に話して、どんな風に笑って。
 三橋と自分は、一体どういう関係だったのだろう。
 朝から心のどこかで持っていた疑問ではあったが、泉は意図的にそれには触れないようにしていた。
 理由は簡単。きっと自分は、自分のいいように考えてしまう自信があったからだ。
 特に「そういうこと」に頓着しないように見られがちだが、好きな相手の手前多少は気にする。
 そう、好きだから。


 ――三橋、今日俺と二人だけで…嫌だったかも、な。


 考えたくないことを前面に押し出せばなんとなく気持ちは楽になる。それ以上悪いパターンが考えられないからだ。
 一応「二人きりの相手が泉くんじゃなかったらよかった」という更に最低レベルの場合も考えられないではない。けれど正直三橋がそこまで考えているとは思えない。
 横目で三橋を盗み見ると、少し下方に視線を落としながら歩いていた。表情はあまり優れない。少なくとも好きな人と二人きりで歩いているようには見えなかった。
 そういえば学校を出てから大して会話らしい会話もない。三橋的には「泉くん怒ってるのかな」と絶賛勘違い中かもしれない。さすがにそれは困るので、泉は視線は前を見たまま口を開いた。瞬間唇がねとつくような嫌な感じがした。


「まったく、どうしてこんなことになったんだろな」
「へ…」
「野球部、俺らだけとか。有り得ないよな」


 軽く口角を上げて微笑んでやると、三橋はぱあっと顔を輝かせた。そう、それ、それが見たかったんだよ、と言ってやりたかったけれど、自粛した。混乱させたくない。


「う、ん、びっくり、だった!」
「だよなー」


 他愛ない、と言ってしまうと素気ない。でもそんな会話が今日初めてできた気がして、泉は三橋を安心させるための笑みとは違う笑顔をこぼした。
 それを見た三橋が、瞬間目を大きく見開く。握りしめたカバンの紐に皺が寄った。


「どーした?三橋」


 その異変にすぐ気付いて不思議そうに問う泉から三橋は視線を逸らす。それでも立ち止まったり歩くスピードを変えないあたり、そこまで重大なことが起きているのではないらしい。
 せっかく普段通りに話せたと思ったのに、どうしたのだろう。やはり何か、まずいことでも言ってしまったのだろうか?それともこの二人きりの状態に息でも詰まってしまったのだろうか。
 泉はまたため息をつきそうになった。横にいるこの子は案外そういうことに敏感だから今はしなかったが。
 あまり問い詰めるのも可哀想な気がする。いつもは阿部や田島が三橋を困らせているのを止めている自分が、彼らがいない分三橋を追い詰めているような気さえした。だからもし三橋が二人きりが嫌なら、逆に何も言わない方が好ましいだろう。そのくらいは熟知している。
 三橋はそれ以上何も聞いてこない泉をちらりと見て、その視線がまっすぐ前を見ていることを確認して、息を吐いた。まるで深呼吸の後のようにたっぷりと放たれた息は、三橋の肺を空にする。
 そうでもしないと、心音が耳にうるさくて、死んでしまいそうだったから。


「いずみ、くん」


 小さく呼ばれ泉は三橋に視線を向ける。三橋がこちらをじっと見つめていた。
 自然と二人の足は止まって――なんとなく、視線が絡まる。


「あの、その」
「……なに?」


 いつもゆらゆら揺れてばかりのその視線が妙に熱く泉を射て、返事が口の中でこもってしまう。何やってんだ俺、と叱咤したところで言いなおすことなどできない。


「きょ、きょう、ふたり、だけで」
「ああ」
「い、ずみくんは、その」


 三橋が息を大きく吸ったのが泉にもわかった。ああ、何かたいへんなことを言われる。体勢は至って自然体だったが、心の中で身構えた。


「いや、だった?おれと、ふたり…」


 まさか。危うく即答しそうになって、泉は開いた口を閉じる。  それは――一体どういう意味で?


「おれは…おれは、」
「……」
「うれしかっ」


 考えるより先に身体は動いて、泉は三橋を引き寄せた。
 眼前にまるい薄茶の瞳が迫る。驚きと若干の脅えがそのガラス玉のような瞳に宿って、泉は目と鼻の先まで三橋を抱き寄せた。
 友達としてのいつもの距離からは到底考えられないほどの至近距離。息をすれば互いにかかってしまう。だから息はほとんど止まっていた。
 三橋からも泉のまるい藍色の瞳がよく見えた。きれい、だな、と、そんな感想だけがすんなり頭に入ってくる。


「三橋」
「う、ん」
「ごめん。正直に言っていいか」
「……うん」
「俺、正直辛かった」


 弁解はどのようにすればきちんとわかってくれるだろう。そう思ったが、もはや頭の中の論理的な思考なんて蚊帳の外で。
 言いたいことを言えれば、それでいいだなんて自分勝手なことを思って。
 けれど三橋はきちんと泉の次の言葉を待った。勝手に自己解釈しない分今は三橋の方に余裕があるのかもしれない。


「俺、今日はお前のことしか考えられなくて、辛かったんだ」


 ごめん。そう呟くと、三橋の唇の端が上がって、笑みを描いた。


「ううん、おれ、も、だから」
「…そっか」


情けないな俺、と泉は苦笑して、三橋の額に額をくっつけた。








明日はきっと、いつもと同じ。


普通にしゃべって、授業受けて、野球するんだろう。


だから、今日くらいは。






友達じゃなくても。それ以上でも、許されるだろう?










相互記念にencher:fauxの樹下奏多様に捧げさせて頂きます。リクは「イズミハ」でした。

特に指定がなかったのでだいぶ好き勝手書かせて頂いたのですが…えーっとこれは一体何なんだ的な駄文で本当に申し訳ないです!久しぶりに書いたらなんだか妙な感じになってしまいました。
というか有り得ないですよね学校に二人しか来ないとか!設定からして無理がありすぎましたとほほ…orz

二人きりなれたらなって思っても、いざそういう状況になると人って案外困ってしまうよね、という話でした。あ、要約できちゃった…;

こんなものでよろしければもらってやって下さい。熨しつけて返してやるぜ!というのでも一向に構いませんので…!

相互リンクありがとうございました!




08,2,6

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