さくらのとき








デートするぞ。


うお?


嫌か?


ち、がっ、


だよな〜。ンな訳ねぇよな。


うひ…


よし。





(彼がにやりと、笑った気がした)





決まり。





初デートは、そんな三分にも満たない電話で取り付けられた。














なんだかさびしい。その光景を見た三橋がまず思ったのがそれで、しかしそんなこと彼の前で言えるはずもなく、ぶるりとひとつ震えてかじかんだ両手を握った。
榛名と三橋は、河川敷の上を歩いていた。左には川幅の広い流れが臨め、川の両側を挟むように土手に沢山の木が並ぶ。冬の終わりということもあり新芽が見えるかとも思ったが、いくら目を凝らしても三橋には葉っぱ一枚無い木の群れにしか見えない。
ときおり吹く、冬と雪の名残を引き起こす風が鼻先をかすめ、三橋はぶるぶる首を振った。いつまでも何もない河川敷を眺めていたって面白くないので、視線は榛名の背に向かう。
数歩先を歩く彼の背は、三橋からするととてもひろい。立ちふさがる壁のようであり、優しい大きな場所であり。あんなふうになりたい、と思う反面、そんな大それたこと、と思って三橋は勝手に恐縮する。彼は三橋にとって憧れ以外の何物でもないのだから。
見つめていると、彼の横顔が視線だけを送ってきた。



「広いだろ」
「へっ…」
「川だよ、川」



長い腕を適当に振りまわして榛名が川を指差す。三橋は一瞬彼の背中のことかと勘違いをし、川のことだとわかって、困った。広いだろ、と言われてもそれは事実だし、だから、何?と三橋の思考は止まってしまう。
しかし前述したように、三橋の中に榛名に対して逆らうなどという選択肢は存在できないわけで。
それはやはり尊敬や畏怖といった感情に、三橋自身絡み取られているから、なのかもしれない。



「は、い……かわ、です、ね」
「おう」



どことなく満足げに榛名は応え、また前を向いた。
また二人でてこてこ歩く。二人っきり、というわけでもない。近隣が住宅地なのでそれなりに人の声はするし、ときどき誰かとすれ違った。誰かわからないのは三橋の知り合いではないからというよりも、三橋がすれ違ってから「すれ違ったこと」に気づいているからだった。それほど三橋は前の彼に集中していたし、また混乱してもいる。



(でー、と)



くちの中でつぶやいてみる。野球だけを追いかけるのがとても好きな三橋はそんなものをよく知らないので、これがデートというものなのかと榛名に言われれば、感心するしかない。
榛名が言うことには何でも頷くしかないのだ。初めて会ったときからそうだったし、付き合い始めてからもずっと、そう。捕手に首を振らないのとは違う。榛名相手に首を振っても、三橋の生命線である野球は続けられるからだ。
それを言うと幼なじみの女子には怪訝に思われたらしく、「何それ?」という世間的にはもっともなメールが返ってきた。でも逆らえない状態が三橋にはとても心地よい。自分は彼を尊敬していて、だいすき、なのだ。もっともその「すき」はよくわからない。女の子を好きなのとはきっと違うのだろうけれど、先輩や尊敬する選手としてだけではない気もする。だからずっとそのひろい背を追いかけて追いかけて、追いかけていたい。
隣りに並んで歩くなんてぜいたくは言わないから、ときどきこうやって振り返って、にやりといたずらっ子のような笑みを浮かべてほしい、と思ったりする。
そしてできたらいっしょに野球がやりたいな。それが三橋の彼に対する精一杯の要望だった。
しかし、話が始めに戻るが、榛名はなぜ自分をこの場所に連れてきたのだろう。何か見せたいのだろうか。川?しかし最近だんだんと榛名の性格の輪郭が見えてきた三橋は、それも違う気がした。榛名元希というひとは川を見せるために三橋を呼び出すようなひとではない。と思った(確証はないが)。
彼の大きな背中はずんずん迷いなく進んでゆく。その実三橋から一定の距離を保っているのは、三橋が遅れて慌てて転ぶ、ということが想定できているからだ。自分と同じ投手、それも大切なこの子にそんなことしてもらっては困る。
榛名の目は河川敷を滑り、枯れ葉も纏わない木々を追いかける。どれも寂しそうで、別にそれらが悪いわけではないのに、俺と廉の邪魔すんなよな!と言ってみたくなった。言ってみたら、後ろを可愛らしく付いてくる金魚のフンみたいな少年はどういう反応するんだろう。
何回か河川敷を往復した榛名の目が、まっすぐ前を見た。遠くに鉄橋が見える。最近日が落ちるのが遅くなってきたからか、どの車もライトをつけていないようだ。



「いっぱい、木があんだろ?」



三橋は突然言葉をかけられ、傍目から見ても「俺、今驚きました!」とでも言わんばかりに大きく震えて身体を硬直させた。思わず足が止まってしまい、そのまま歩いてゆく榛名と数歩以上の間があく。
返事がないのはどうしてだ、と榛名がちょっと考えたところで立ち止まって振り向いた。十メートルは先に三橋の姿。
ち、と舌打ちして榛名は三橋へ向かって大股で歩き出す。それとほぼ同時に三橋の止まっていた時間も流れだしたのだけれど、ちょっと遅すぎたようだ。一歩を踏み出すよりも先に彼が目の前に来てしまった。
三橋にとって榛名は眼前に来られると首が痛くなるひとの一人である。なぜって、背が高いから。これでも毎日頑張って牛乳を飲みプロテインを食べる三橋でも、まだまだその差は大きい。それもやっぱり、埋まらなくていい差だと三橋は思っているのだけれど。
だって、あのはるなサン、なのだから。



「どーした」



榛名は幾分眉間に皺を寄せ、三橋を見下ろした。三橋の脳内で榛名に対する尊敬から恐怖へベクトルが移行し、彼が怒っていると判断した三橋は目を大きく開いて青ざめる。またあきれられるようなことをしてしまっただろうか?
三橋は自然と視線を落とした。小さな肩をますます縮こませ、震える。



「…さみーか?」
「はひ?」



見上げると榛名はやはり眉間に皺を寄せていたが、怒っているというよりは怪訝そうな顔をしていた。
榛名は三橋から視線を外し、辺りをぐるりと見回す。景色に変化はなく、なんとなくどこもかしこも物寂しい。これ以上なんの収穫もない場所に置いておいたら、三橋が風邪を引いてしまうかもしれない。
榛名は三橋に視線を戻し、先ほどよりも幾分優しい顔つきで頭をがしがし撫でた。



「ん。帰るか」
「あわっ、は、いっ」



微妙な距離感も会話のない空気も三橋にとってはどうすることもできないものだったから、その申し出は多少ありがたかった。けれどまだ、なぜここに連れてこられたのかという疑問は残ったまま。
榛名に頭を撫でてもらえて嬉しいが、それに浸ってよいのかわからない。
三橋の大きな返事を聞いて、榛名はよし、と楽しそうに笑うと三橋の右手を握った。自分の手よりひとまわりもふたまわりも小さいが、投球のクセが染み込んだ愛おしい右手だ。硬いクセに優しく温かい。それはこの小さい子どもの姿そのままのようで、なんだかおかしかった。



「うおっ!?」



突然右手を取られ歩き出されて三橋は混乱する。榛名はもともと所作に乱暴なところがあったためか、引っ張られて三橋の軽い身体は簡単に宙に浮いてしまった。慌てて地に足をつけ、一歩前を歩く彼を一生懸命追いかける。
その手はとても大きく、あったかい。



「あのな」



榛名が振り向かずに口を開いた。三橋は何か相槌を打とうと思ったが、榛名の台詞が先に発せられた。
榛名はまた河川敷沿いの大木たちへ目を向ける。横顔がとても楽しそうで、野球をしているときのように生き生きしていた。



「ココ、春になるとな、すげー桜が咲くんだ」
「ふぇっ、さ、さく、」
「おうよ。咲くんだ」



三橋が「さくら」と言いたかったのか「咲く」と言いたかったのか、それとも榛名の言葉をすべて復唱したかったのかはわからない。しかし榛名はククッと声を出して笑い、きっと廉のことだからどちらも言いたかったのだと思った。こんな顔でこんな性格しているクセに、三橋廉は案外わがままだ。そこも可愛いのだけれども。



「だから今日は、ちょっと咲いてないかなーとか思って来たんだよ」
「お、おおっ」
「でもやっぱ季節柄早かったんだな。なんかさ、俺と、お前がいるから、咲くんじゃないかと思ったんだけどな」
「……」



どういう意味かわからず、三橋は首を傾げた。自分と榛名がいることでどうして桜がさくのだろう。わからないが、この人がいうからには何かすごい仕掛けがあるに違いない。どうぜなら咲いて欲しいなあ桜、と三橋は木々へ視線を送った。
そういえば西浦へ入学したときも桜が咲いていた。不安と緊張のせいで見ている余裕がなかった。今年は見られるといいな、と思う。お花見をしたりして、とても幸せなはずだ。
そんなほのぼのしたことを考える三橋の前を歩きつつ、榛名は好きな子に好きなものを見せるっていいな!と思っていた。結果的には見せられなかったのだが、それでもこうやって家の近所まで連れて来て思い出の詰まったこの河川敷を二人歩いて。なんて模範的なデートなのだろうか。勝手な自己満足もツッコんでくれる人間が不在のためにどんどん突き進んでゆく。
そしてずっと言いたくてたまらなかった殺し文句。言うなら今しかない。



「…なあ、三橋」



振り向かない。それがいい男というものだろう。
のどの奥でひとつ笑ってから、豪快に。



「俺の左手、お前のモンだからな!」



榛名にとって何よりも大切なそれは、今三橋の右手の中にある。三橋に、あげてしまったのだ。というか心を奪われたのである。
何より大切にしてきたそれをやるなんて、俺ってば太っ腹!っつーか、絶対三橋も喜ぶに違いない!と榛名は顔のニヤけが止まらなかったのだが、後ろをついて歩く三橋の顔は反面青ざめていた。さっき榛名に怒られたと勘違いしたときより数倍ひどい。



(榛名さんの左手、おれ、の?じゃ、じゃあ、榛名さん、やきゅうできなくなっちゃう…?)



どうすればそういう結論に達するのかわからないが、ともかく三橋は最低な方向へと思考を向かわせ、唇をかみしめた。泣いてはいけない。ウザがられる。でも、榛名に左手をもらってはいけない。
ここに二人以外の誰かがいたなら頑張って訂正してくれるようなことも、互いに逆方向へばかり進んでいるためにそのズレはひどくなるばかり。更に互いに互いの変化にまるで気づいていないので、どうしようもない。
前を歩く榛名はスキップでもし出しそうな機嫌の良さで、後ろを歩く三橋はこの世の終わりとでも言わんばかりに頭を垂れている。傍目から見るとあまりの温度差に眩暈がしそうだ。
けれど、それでも二人がなんとかやっていけるのは。



「お前は右手をすんげー大事にしてんだろ?」
「…?」



涙目の三橋が顔を上げると、照れたように笑う榛名の瞳がこちらを向いていた。
あ、はるなさん。今更確認するように思って、条件反射のようにへらりと笑い返す。



「俺も左手が大事だ。だからこーやってつないでれば!」



よいしょ!と掛け声をかけて、榛名は三橋を引っ張った。叫ぶ暇も呻く暇も与えられないまま、三橋の身体が宙を舞い榛名の真横へ着地する。彼は足を止めた。
にやり、と、彼らしい笑みを浮かべて、三橋に顔を近づける。ずっと上にあった視線が下りてきて、三橋は肩を震わせた。



「大事なモン同士、絶対、離せねーだろ?」
「……ぉ!」



はじめきょとんとしていた三橋の顔にだんだんと、榛名さんスゴイ!という文字が浮かび上がってきて、榛名自身悪い気はしない。むしろもっと褒めてくれていい。
そう、投手にとって、というか、彼らにとって。互いの利き手を握ることは、互いを預かることなのだ。互いを預けることなのだ。



(それってものすごく、互いに依存してるってことじゃねー?)



榛名は自分で考えますます嬉しくなり、空いた右手で三橋の頭をぐしゃぐしゃに撫でまわした。三橋が驚いて何やら言っているし、最終的に若干髪型が寝癖っぽくなってしまったが、それはそれで可愛いのでいい、ということにしておく。



「よーし。もう少ししたらまたデートだ!んで、桜見せっからな!」
「あっ…は、いっ!」



また三橋を引っ張るようにして歩き出す。今度は三橋も頑張って、榛名の隣りをキープして歩く。
傾き始めた夕日が二人の影を少しだけ伸ばした。それよりももっと桜の木々の影は伸び、榛名と三橋はその上をなぞるように、楽しげに歩いていった。












お知り合い記念?にbrisaの可名様へ捧げさせて頂きます。
リクは「榛名も三橋もちょっと抜けててコミュニケーションがどっか食い違いつつも幸せっぽいハルミハ」でした。

いや、二人とも天然なとこあるよなーと思いながら書いていたのですが、リクに沿えているかはなはだ疑問な出来栄えとなっております…(撃沈)。それから体格差アピールもリクして下さったのですが、手の大きさくらいしか出せなかったー!しょ、精進致します;

ちなみに題名と話の内容はa/i/k/oの「桜/の/時」から頂いております。あれはゲンミツにハルミハソングですよ!皆様もぜひハルミハ視点で聞いてやって下さいv

それでは可名様、よろしければお持ち帰り下さい。
ありがとうございましたー!


07,12,23

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