香る、紫煙






ゆらゆら、ゆらり。


白い陶器の灰皿の上で、その身を崩して煙草が燃える。灰がこぼれて、白の平面に落ちてゆく。
ただひたすら煙が上がり、空で消える。あとに残るのはどことなく悲しいにおい。涙が、出そうになる。
テーブルに肘をついて、三橋はそれをぼんやり眺めた。煙の一筋が生まれ、死ぬまでを三橋の蜂蜜色の瞳が追いかける。繰り返し、繰り返し。追いかける。壊れた人形ほど恐ろしくもないその所作は、しかしどことなく慎吾の胸の中に重いものを落としてきた。
慎吾は三橋の向かい側でシンクに寄りかかり、コーヒー片手にそれを見る。彼は煙を見ているようでもあり、三橋を見ているようでもあり。
ときどき思い出したようにコーヒーに口をつける。受験勉強で夜遅くまで起きているせいで半ばカフェイン中毒だった。コーヒー自体がとても好きというわけでもなく、単なる中毒症状。



「なぁ――」



面白いか?尋ねかけ、やめた。三橋が肘を崩し、腕に顔を乗せるようにして煙を見始めたからだった。蜂蜜色の瞳をゆっくり動かし、口をぼんやり開いたままで。



「……」



慎吾はまた一口コーヒーを口に含む。口の中で転がす苦さは目の前の煙とどこかよく似ていて、それから案外三橋にも似ていた。
野球中毒の三橋は何かひとつに夢中になると本当に中毒になったようにそれしか見えなくなる。もう二度と煙草なんて見せないようにしようと心に決め、慎吾はコーヒーカップを置く代わりに灰皿の中の煙草を持ち上げた。瞬間灰が零れ落ち、三橋のまあるい瞳もこぼれそうに見えた。



「しんごさ…」



非難めいた、というよりむしろ、注意でも促すような声が慎吾に届く。三橋は顔を上げていた。構わず煙草を口に含んだ。当たり前のように苦く、嫌いな味がした。コーヒーの苦さとは徹底的に異なった。
息を軽く吐くと、口から煙が流れた。横目で見た三橋はそれすらもまた目で追っていて、ぼんやり半眼になる。まるで熱に犯されたとか、危ないクスリに手を染めてしまったかのようだ。



(なにが、楽しいんだか)



灰皿に乱暴に煙草の先端を押し付けた。目を見開く三橋の前で、煙は一度脈打つように大きく揺れると、徐々に細く弱くなってゆく。



「ぁ……」



眉尻を残念そうに下げた三橋の腕を掴んで、テーブル越しに立ち上がらせ、引き寄せた。イスが大きく音を立てる。



「ぁわっ…!?」
「はいはい、終わり終わり」



大人が子どもをあやすようにぶっきらぼうに言い放ち、三橋の頬に手をそえて、唇を舐めた。少しだけ震えが伝わってきた。
抵抗はいつも通り一切ないので、遠慮なしに唇を塞ぐ。



「んぁ…慎吾、さん…」



耳にこびりつく甘い声が名を呼ぶ。
ようやくいつも通りの甘い逢瀬になったと一安心したところで、慎吾は横目でまだ完全に消えていない細い煙を眺めた。とろとろと煙は上がり続ける。キスが止まる。
突然のことに三橋はよくわからないままに口を開いた。



「しん、ご、さん…?」
「……」
「慎吾さん」
「……」
「……」



いつまでも自分に視線が返ってこないので、三橋はちょっとムッとして慎吾の胸に顔をうずめた。慎吾は「お、」と三橋に視線を戻して、柔らかい髪の毛を撫でた。



「苦くなかったか?煙草」
「た、ぶん…」
「やなにおいだよな」
「キライじゃ、ない、です」
「俺は、嫌いだ」



食むように三橋の額に口づける。ひあ、と三橋の声がして、なんとなくいい気分になった。
それから瞼に、鼻先に、頬にキスして、最後にまた唇に戻る。角度を変えて、あたたかい唇を味わう。
苦くも甘くもないけれど、これはこれで十分中毒性が高いのだ。



くらくら、くらり。
キスが終わる頃には、煙は跡形もなく消えていた。







07,12,4

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