どうしようもなく溺れている
階段の踊り場ってやつは誰が作ったのだろう。水谷文貴はそんなことを考え、ああ、おれって馬鹿だなあ、と思った。だって踊り場がなかったら階段が途切れちゃうじゃないか。
たぶん自分はこう言いたかったのだ。なんで踊り場って名前なんだろう。これならしっくりくる。別にこんなところで踊るヤツなんかいないだろうに。
でも今自分がしていることはもしかしたら踊るよりも可笑しなことかもしれない。断定できないのは自信がないからだけど、それ以上によくわかっていないからだ。なにもかも。
(あれっ、でも)
もしかしたら始めの疑問で合っていたのかもしれない。そう、問題はなぜここにこんなスペースがあるかということ。学校の階段なんて狭くたっていいじゃないか。別に。踊り場って名を冠するほど踊れる広さが必要なのだろうか。
そんなどうでもいいことを考える余裕があるのは自分でもかなり不可思議で笑いそうになったが、口が塞がっているこの状態ではそうもいかない。
「んっ…んぅっ…」
水谷は、キスで口を塞がれて呻く三橋をじっと見つめる。こんなに近くでエースの顔を見たのは初めてだった。目尻に浮かんだ涙が痛ましく美しい。水に濡れて潤む瞳はこっちを時々見ては、ぎゅっと閉じられる。始めは少し申し訳なくも思ったけれど、没頭という言葉が相応しいようにそんなことは気にならなくなった。自身もつられるように目を閉じる。
角度を変えながら柔らかい三橋の唇を食む。優しく優しく。男のはずなのにやたら柔らかいのは普段リップクリームでもつけているんだろうか。そんな想像をしたらなんだか女の子を相手しているようで可笑しかった。それでも相手は確かに三橋廉だ。水谷は怖くなると目を開けて確認する。もし自分が本当の意気地なしでキスしている相手が女の子だったりしたら、死にたくなるはずだから。
踊り場の壁に三橋の細い身体を押しつけて、貪るように口づけを深くしてゆく。
ずり、と三橋が崩れそうになったが、そのまま重力に逆らわずにゆっくり床に座らせ、自分も体勢を下げた。もちろんキスは止めないで。
口で口を封じたこの状態を見たら、偶然通りかかった生徒や先生はどんな反応するんだろう。放課後、一番人通りが少ない階段を選んだ。けれど、もしかしたら誰か来るかもしれない。誰かが普通の生徒だった場合は?睨みつけてやろう。何見てるんだって、彼氏面して。先生だった場合は?どうせ見て見ぬふりをするに違いない。別にセックスしてるわけじゃなし、男同士なんて関わり合いになりたくないだろう。
なら、相手が西浦高校野球部部員だった場合は?
(これが難しい)
意外にすんなり入った舌で三橋の舌を絡めとって、水谷はぼんやり思った。熱に浮かされたみたいでうまく思考は働かないけれど、生温かい三橋の口内を感じながらよく考えてみる。
誰に見られてもヤバい気はする。偏見とかそういうのを持つ奴らではないけれど、冗談で片づけられる範囲のキスは当の昔に過ぎてしまった。なんの言い訳も通用しない気がする。
そうしたら三橋が傷つくのだろうか。
(あ、そっか)
考えは一番初めに辿りつき、三橋の肩や腕を掴んでいた水谷の手は背に回った。抱きしめる形となって三橋の手は行き場を失う。捕まえていてくれればそれで楽で、解放されると逆に困ってしまうというのはよくある話だ。
彷徨った手は仕方なくなのかそれが本望なのか、水谷の背に回された。服越しに互いの体温が混ざり合って熱い。
「う…ふ、ぅ…ん」
色っぽい声が漏れてきて頬の赤みが増して、身体の芯が熱くなる。もっともっと声を聞きたい。こういうことはいざとなれば身体が知ってる、っていうのは本当なんだと思った。
そしてさっき返ってきた一番初めの疑問の正体に辿りつく。
(踊り場って、どうしてこんなに広いのかな。抱き合えちゃうよ)
思って、自分は溺れているのに冷静なんだと思う。その冷静さ自体が溺れている証拠なんだ。
こんなことをいちいち考えて、それでもこんなところでキスしているのは誰かに見られてしまえと思っているからで、それはたぶん、認めたいから。
(おれ、三橋のことすごく好きなんだよね。きっと。たぶん)
誰かに見られればそれが証拠となる。自分は三橋のことがこういう意味で好きなのだとわかる。自分は今よりずっと自覚が出て、本気になるだろう。そして、三橋はちゃんと、わかってくれるんだろう。
情けないと思わないわけじゃない。でも、それくらいこの子に夢中なんだから構わないじゃないか!と内心思った。
ちゅ、と音を立てて離れる。三橋の唇は濡れて非常に艶めかしく、頭がくらくらして、また、キスを再開してしまった。
三橋が窒息する前に止めないと、と言い聞かせながら。
07,10,5
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