常套句
知らない場所に行くというのはあまり楽しいものではない。わくわくどきどき、というのはなぜか子供のときから感じたことがなかった。ただなんとなく居心地が悪く、さびしい。それははじめ単なる季節柄だからなのかなと思ったが、やはりよそ者であることによる気まずさのようだ。
更に自分がここにいるのが不思議だとでも言いたげな視線がそこら中を駆け巡っていて、逃げたくなっているのも事実だ。桐青の制服がそんなに珍しいのか、といえばそんなことはないのだろう。別に強がってもいないし自慢でもないのだが、その視線は女子からのものが圧倒的に多かった。よく後輩にからかい半分羨望半分で「かっこいいからでしょ〜」と言われる。学校の中でも町を歩いてもやたらと視線を感じる。それからたまにあるのが、男女で歩いてきて男の方が睨みつけてくるというパターン。連れの少女が準太を見ていようがいなかろうが十中八九やってくる。やめてほしいとまで言わないが、あれで恥ずかしくないのかね、と上から目線で思ってみる。
ふう、と息をついたら遠くから焼き芋屋の間抜けなくらいのんびりした売り文句が響いた。
時計を確認する。白い息を吐き出すことと時計を見ることくらいしかやることは残されていなかった。携帯を開く気にはならない。恥ずかしい話だが、もし断りのメールでも入っていたらと思うと怖かった。いくら顔が良くても本命相手にはこんなもんだと思う。
(ああでも、もし返事がなくて困ってたりしたら、可哀想だな)
困って親鳥を見失った小鳥のように慌てる姿を想像する。手をズボンのポケットに入れた。爪に硬いものが当たる。舞い始めた初雪が視界に入ってから視界から消えるまでの間逡巡し、結局強引に携帯を引っ張り出した。
空気の微妙な冷たさとちらちら視界を横切る雪のせいとうそぶいて、準太は目を細めながらぼんやり携帯を見る。だんだんはっきり見えてきた携帯電話は静かに灰色がかっていた。電話やメールを知らせる紫の光はいくら待ってもやってこない。
安心したようなそうでないような気分に陥りながら、携帯をポケットに滑り込ませて辺りを見回す。追おうとすればうまい具合に逃げていく雪に対して傘をさす者はいなかったから、校門周辺一帯は簡単に探し終わった。しかし結果的に見つからないのであれば、もう少し難しくしてくれたほうが楽な気もする。
幾度目かのため息をついて、校門の門柱に寄りかかった。昇降口からすぐ見えるように、あの子でもきちんと見つけられるように。それはまさしく彼女待ちの彼氏の姿でしかなかったが、別にどうも思わない。
そしてまた準太は下校途中の少女たちの好奇の目に曝され、その連れ合いに睨まれ、ため息をつく。ときどき聞こえる車のエンジン音なり焼き芋屋なり鳥の声なりに耳を傾けつつ、そうやってただひたすら待つ――。
「すみませっ…!」
三橋だ。声がそうだとか口調がそうだとかあの姿はまさしく、とか考える前に目が声の方向を追っていた。これで違ったら泣きたくなるというものだ。
昇降口と校門の丁度中央の辺りに三橋はいた。準太が制服にマフラーだけなのに対して三橋はその小さな体を厚手のコートで覆っていて、少し歩きにくそうなほどのいでたちだった。更にマフラーをつけて手袋をはめて、完全に冬支度。三橋が野球以外のことにいちいち気を配れるはずもなく、この子を思う誰かがしてくれたのだろうと容易に想像がつく。嫉妬というより、ほほ笑ましいな、と純粋に思う。
けれど当の三橋は目を大きく開いて固まっている。少年の目の前には背の高い男の姿。西浦には制服がないからなんとも言えないが、どうやら西浦の生徒ではなさそうだった。ナンパでもしに来たのかと思える感じの痩せた金髪の男。髪の染め方がなんとなく嫌悪感を呼んで、準太は心の中で生意気な後輩に、「お前の髪ってアレよりずっとマシだな」とさえつぶやいた。
「自分からぶつかってきてあやまんねーのかよ、え?」
「す、すすすすみませ…!」
「聞こえねーんだけど?」
「う、おっ、」
「はあ!?」
(うっわ)
まったく先に進まない会話を少々遠くから見つめて、なんだかげんなりした。
大人気ないというか、そんなことでいちいちつっかかって、あの男はケンカをしに来たのだろうか。まあそれもアリか。自分が恋愛事で来ていたものだからてっきりそっちかと思い込んでしまったが。
そして会話が古いというか、お決まりのパターンすぎて失笑してしまう。日々青春を生きるに忙しい野球少年は、そんなに暇なんだなあと感心さえする。
それでも三橋は十分に脅えているらしく、両手を胸の前で強く握って震えている。助けにいかなくちゃと思わせるにふさわしい状況だ。そうでなくても待ちくたびれていたので、準太は門柱から背を離すと二人に向かって歩き出した。
走るべきなのか否かと準太が迷っていると、三橋がこちらに気づいて顔をぱっと明るくさせた。それだけで灰色の世界に灯が灯ったかのようで、顔と体が熱くなった。
しかしそれは相手の男を苛立たせるに十分だったようで。
「てめぇ、むかつくんだよ…!」
いとも簡単にキレてしまった彼の手が、三橋に掴みかかろうとした。
三橋が声に驚き準太から視線を外すのとほぼ同時に準太の足がアスファルトの地面を蹴り、金髪男を利き手がぶん殴った。おそらく本人は気にしているだろう顔にヒット。
「あ。」
「うへ?」
準太はそんなに力がある方ではないが、金髪男の強度はそれより劣っていたらしい。さすがに吹っ飛ぶなんてことはなく、その場に崩れ、倒れた。
(あー…やば、い、のかな?)
痛そうに顔をゆがませる男を見下ろし準太は首を傾げる。正直拳はそれほど痛くない。なんだか自分のあずかり知らぬところで話が進んでいるような感じ。
三橋を見ると、きょとんと目をまるくして男を見ていた。そしてすぐに準太に目を向け、肩を震わせる。脅えたのではなく、状況が飲み込めず混乱しているのだろう。準太自身飲み込めていないのでしょうがない。
「逃げるか」
「…へっ?」
辺りの生徒はまばらだったが、確実に足を止めてこちらを見ている。静かなだけにこそこそ話す声も聴覚がきちんと拾い上げた。
驚いて更にまるくなった三橋の目を見て、準太は手袋のせいでぬいぐるみみたいになっている三橋の左手を掴むと校門に向かって歩き出した。前方の生徒たちは道幅から言ってそんな必要ないのにもかかわらず道をあけてくれる。心の中でどーもとお礼しつつ、足を速めた。
別に逃げるほどのことでもない気がしたが、よく考えてみると桐青は私立だし自分は野球部だし、これってやばいのかもしれない。三橋にとってもよくないのかもしれない。
振り向いて三橋を見ると、心配そうな不安そうな眉をハの字にした表情でこちらを見ていた。
「じゅんさ…」
「ごめん。なんか、先走っちゃって」
素直に謝る。三橋は何に対して言われているのかわかっていないらしい。頭の上をクエスチョンマークが飛び交っている。
「別に殴らなくてもよかったよな。怖くなかった?」
「あ…準さん、手、が、」
そっちの心配か、と準太は笑った。三橋は優しいいい子というよりか、着眼点がおもしろいと思う。
「平気だよ。三橋があんな奴に触られるくらいならこれくらい」
「……?」
準太が言えばけっこうな殺し文句のはずなのだが、これも三橋は文法上の意味がわかっていないのか、それともなぜ準太は三橋があの男に触られるのが嫌なのかわかっていないのか、小さな口を開いて首を傾げた。
学校を出て数分だというのにもうそれが遠い昔のことのようで、更に金髪の彼が追ってこないせいか夢の中のことのようにも思えた。
「じゅ、んさっ」
「ん?なに?」
頑張って早歩きして準太の横に並んだ三橋が、こちらを見上げる。白い息が湯気みたいに見えた。赤の頬と唇が湯気の向こうに揺れた。
「待ち、まし、た?」
準太は三橋をまじまじ見つめて。
笑う。
「…いや?」
手のつなぎ方を、恋人つなぎとかいうのに変えてみた。
「今、来たとこ」
07,12,4
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