うわ言のように






なあ、三橋。


どこからともなく声が聞こえた。
顔を上げると視界に入ってきたのは休み時間に相応しい光景。クラスメイト達が楽しそうに、半ば暇そうに団欒に興じている。
泉は重い頭をはっきりさせるように辺りを見回した。授業中に眠り込んだまま休み時間に突入してしまったらしい。普段ならうるさい雄叫びで否が応でも叩き起こされてしまうのだが、その雄叫びの主こと田島の姿がない。
視線を走らせると浜田の席も空いていた。



(となると)



斜め前。三限の始めには確かにそこにあった目立つぽわぽわ頭が消えている。
この三人はセットで行動しているのだから当たり前だった。けれど今は三限の休みで、いつもなら早弁か熟睡か、どちらかのはず。だいいちどこかへ行くなら田島が起こしに来るだろうに。女子じゃないから連れ立ってトイレというのも有り得ない。
泉は椅子の背に体を預けながら伸びをした。思わずうーんと声がこぼれた。上半身の至る所が痛い。毎日の練習の後にきちんとダウンしているし、厳しいメニューにも慣れてきた。この気味の悪い痛みは変な体勢で寝たからだろう。全く嫌になる。
首を回して息を吐いた。教室の前に掛けてある時計はそろそろ休み時間終了時刻を指す。しかし奴らは帰ってこない。
購買にパンでも買いに行ったのだろうか。どうせ早弁で持ってきた弁当は空のはずだ。三限の前に三橋がぱくぱくおにぎりを頬張っていたのが後ろからでもよく見てとれた。
あんな細い身体によく入るなと思う。というかあれだけ食べて太らないってどんだけ体力使ってるんだか。一試合で相当消耗するみたいだし、その熱意には恐れ入る。



(いや、今はそんなことよりも)



いつの間にか三橋の話になってしまったが、問題は休み時間ぎりぎりまで奴らが帰ってこないという方だ。一体どこほっつき歩いているのだろうか。あと一分もない。
心配してもだからどうというわけじゃないのだが。
泉はため息をついてカバンを漁り、次の用意をする。教科書とノートを出して机上に置き、椅子の背に身体を預け、なんとはなしにふう、と息を吐く。



(ならさっきのは?)



目を上げるきっかけになった声の主は、誰だったのだろう。



――なあ、三橋。



空耳?しかし確かに聞こえた。誰の声かはよくわからないが、なぜか確信を持って言える。そして少なくとも三橋のことを呼んだということは。
言い方からして男。それから仲のいい相手。
なら田島や浜田くらいのものだろうが彼らは当の三橋と共に此処にはいない。
あとはまあ、単なる直観でしかないのだが、彼らではないと感じた。
そう考えてから泉はこれが至って馬鹿馬鹿しい議論であると思い直した。別に誰かが三橋を呼んで、それが何だと?もしかしたら他の野球部部員の可能性もある。言い方や声の調子からして特別不審な点も無い。
ならなんで、こんなに気になるのだろうか。わからない。わからないのは自分自身に対してだ。



(三橋、だからか)



考えて眉間に皺を寄せる。
そういえばあの声。どこか酷く泉を苛つかせる要因を持っていた。
三橋に対する、そっけない愛情。
それも友人としてではない想いを含ませて。
視線は時計に向かい、頭は勝手にカウントダウンを始める。あと、十秒。



「間に合ったー!」



扉に目を滑らせると田島が飛び込んできた。その後ろに疲れた表情の浜田が、そして、いつも通りキョドキョドした三橋の姿。



「お前らどこ行ってたんだ?」
「こーばい!今日特別メニューだったから人すんげかった!」



田島の答えに拍子抜けした泉がため息をつくのに合わせるように、やけにのびやかな音でチャイムが鳴った。



「ならなんで俺を起こさないんだよ」



横を素通りしようとした浜田を睨みつける。その問いがくるのを恐れていたように、浜田は目をそらした。



「や…三橋がさ」
「ああ?」
「お、おれ!」



振り向くとすぐ横に三橋が立っていた。ぱくぱく口を開閉して、焦っているようだ。



「おれが、泉くん、起こさないで、って…」
「なんで?」



まるい割に凄みのある瞳に見上げられ、三橋は何かもごもご口の中で言った。言ったことがわからないので泉が首を傾げると、三橋は右手に握りしめていたものを差し出す。特別メニューとやらだろう、新作らしい惣菜パンだった。



「ここ、これ、いずみくん、に…!」
「別にパンが欲しいわけじゃ…」
「三橋さ、泉があんまりにもよく寝てたから起こすの悪いって言ったんだよ」



横から浜田が口を挟む。だからそれはちゃんとお前の分だよ、と言って、泉の睨みをかわしながらすごすご自分の席に戻っていった。
三橋を見ると、盗んできたものを差し出すようにパンを突き出し、目をぎゅっと閉じている。
泉は何度目かしれないため息をついた。それならそれで怒ったりしないから、田島のように堂々としていれば随分楽だろうに。
早くしないと先生も来てしまう。泉は三橋の手からパンを取り上げた。



「なあ、みは――」



気にしてないから。そう言おうとした。
しかし言葉は出てこなかった。口を馬鹿みたいに開いたまま、泉は三橋を見上げる。
三橋は泉が黙ってしまったのを不思議に思って、大きな瞳を瞬かせた。言うことを途中でやめるなんて彼らしくないから、半ば心配になっているのだろう。



「……」
「……いずみ、く、」
「…三橋、先生来た」



言われて三橋はうおっと言い、慌てて自分の席に座った。その後ろ姿を泉はじっと見つめる。
起立をし、着席をして、四限現代文が始まる。
ぱらぱらと教科書をめくる音。今更用意を出したりするがさがさという音。
泉は例に漏れず教科書を開いて、はあ、とため息をついた。もう眠くはないけれど、がくりと首を折って。







(なあ、三橋)



(あれ、俺の声だ)






07,10,5

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