広い背中
抱きつかれると安心した。抱きしめるよりも。
背中から伝わる三橋の体温が心地よい。熱すぎず冷たすぎず、ぴったり幾枚かの布地越しに張り付いて伝わる。触れたその部分から溶けてしまいそうな感覚に陥った。溶けて、二人が融合してしまうような感覚。
「…ミハシ?」
たっぷり時間をかけて、尋ねるような声で言う。本当は何をしているんだだとか、どうかしたのかだとか問うにはあまりに時間が経ちすぎていた――抱きつかれてから。とろけるような触れ合いを楽しんでいるのは自分の方で、だから理由など聞いてその時間を短くしたくなかったのかもしれない。
けれどやっぱり自分は問うてしまう。お節介な性格なのではなく相手がこの子だから仕方ない。このまま、を続けることはよくないのだと、昔と同じようにしみじみ思うのだ。ボール拾いばかりさせていたこの子に、グローブをあげたあの日と本質的には変わらない。
流れる時が変えたのは二人の背丈と積もり積もった事情、そして、浜田が三橋に対して抱く想いだけ。
何も言わない三橋に、浜田は顔が見られていないのをいいことに小さく笑った。
笑ってからそれがまるで苦労人のすることのように思えて、ますます苦労人のように苦笑したくなった。
「なんも言わないと、わかんないぞー」
「……」
回された腕が、力を増した。あたたかさがなんとなく増した気がする。
何処にも行かないよと言いたくて、やめた。自分はかつてこの子を裏切ったことがある。この子をひとりにしないと誓ったのに寂しい思いをさせた。離れていったのはこの子の方だけれど、ひとりにさせたのは間違いなく自分なのだ。誓いは弱冠十歳ほどで破られた。誰に誓ったかなんてそんなの自分自身に他ならないので、いちばんひどい。
このままあたたかさにまかせて溶けていっしょになってしまえたら、二度とそんな悔しい思いをしなくて済むのだろうか。浜田は試してみようかと考えて、その方法を考えたときに「いっしょになる」という言葉の裏にひそんだ真意を発見して俺ってサイアクかもしれんと唸った。そして年食ったな俺、と無難に考えた。純粋な気持ちがそんな風に昇華できるはずもないが、それが大人になるということなのだろう。大人はできないことを「できない」と決めたから、もうできないのだ。本当に。だから代替手段を必死に探す。
後ろで三橋がほんの少し頭を動かした。あたたかさが揺らぐ。それだけで少しでも脅えを見せた自分は大人になったぶん情けなくなったようだ。
「ハマ、ちゃん」
「……ん。なんだー?」
微妙な間は隠せないものの、できるだけなんでもないように返事をすると、三橋が笑った。ような気がした。
「あったか、い、ね」
「うん。三橋、子ども体温なんだなー。ホッカイロ替わりだなあ、あはは」
腹の前で組まれた三橋の両手を浜田の一回りも二回りも大きな両手が包み込む。
三橋の声はだいぶ落ち着いていて、今やっている「コレ」は、きっとこの子がきちんと心の整理をつけてしていることなのだろうと思わせた。
そうやって三橋が生きてきたことを、思わせた。
(すき、だ)
手だけは硬いその肌を触りながら、浜田は想った。今自分は微笑んでいるのだろうか?
自分にはその言葉を言うことが昔も今もできなくて。そして、今は「できないこと」を認めてしまったから。
けれど、想うことだけはできるんだと折れそうな心で思って、そこだけは譲らないでいきたいと思う。
「幸せ、だ」
できれば面と向かって言ってやりたかったなと、浜田は心中でつぶやいてまた苦笑しかけた。
その後ろでは告白替わりにつぶやかれた言葉を、三橋が目をつぶってゆっくり受け止めていた。
「俺はさ、ミハシ――」
浜田の、気まずさから発した続きのない台詞が止まる。三橋が浜田の服を強く掴んだせいだ。
後ろから三橋の、すん、と洟をすする音が聞こえて、籠って小さくてよく聞こえない声がした。
わかるはずなかったが、背中に当たったあたたかい息が、「すき」と形どったような気がした。
07,12,1
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