ストラップ








「叶ー、いー加減にせーよ?」
「あ゛ぁ?」


机に突っ伏していた叶は、間延びした声に顔を上げた。
そこには呆れ顔の織田の姿。試合以外では笑顔が地のような彼が、珍しく眉間に皺を寄せた固い表情をしている。
ただそれは野球をしているときにはたまに見せるものだったし、叶はガキ大将気質なためか自分より身体の大きな織田に対してひけをとったりしない。


「なんだよ」
「なんだよってなあ…」


それ、と織田が指差したのは叶の手の中、強く握りしめられた携帯電話だった。あまりに力を入れすぎて上下の噛み合わせがよろしくない。


「三橋からの連絡待つのを悪いとは言わんけどな、授業中から練習中から果ては寝てる間まで携帯離さないってのはどうなん?」
「うるせー…」


叶は口を尖らせて携帯を開いた。待受画面には古ぼけたボールが写る。以前、あれだけ三橋三橋なのに待受は違うのかと不思議に思った。もしかしてカモフラージュなのかと尋ねてみたら、単に他の奴らに三橋の写真を見られたくないのだという。筋金入りやな、と織田は嘆息し、その後このボールが三橋との思い出の品だと愉悦に浸りながら語られたときには、さすがにお山の大将の今後が心配になった。
まず叶の三橋中毒が酷いことになったのは西浦戦の後。三橋に追いつくと意気込み異常に頑張りはじめ、畠が本気でオーバーユースの心配を始めた程だった。
そして二度目が、先日叶が投げた甲子園予選の直後である。なんでも同じ日に西浦も試合があって、叶の勝利報告に三橋から返信が来たという話だ。それに喜ぶのはわからないではないが、喜び方が半端なかった。
今度はオーバーユースはなかった。ただ、投球がうまくいくとどこだろーが「廉!」、埼玉という地名だけでも「廉!」、まかり間違って三橋自身が話題に出ると「行くぞ西浦!!」…とまあ、三橋廉一色になってしまったのだ。
そのせいか宮川が三橋に謝りに行きたいななどとほざいたときには半殺しの目に合いかけた。宮川自身にはおそらく下心などなかった。…断定はできないが。
今のように携帯を握り続けるのなんてそれに比べれば序の口である。
しかしそろそろなんとかしてもらわないとこちらの身が保たない。三橋好きなのは構わないが、それでこうも睨みつけられてはやっていけない。


「お前の三橋好きを止めるつもりはないんや。ホラ、三橋だって真面目に頑張っとるんやろ?叶も負けへんようにせんと!」
「別に俺、最近どの試合も負けてないけど」


素っ気なく返され、織田は言葉を詰まらせる。事実、第二次三橋動乱期(織田はこう呼んでいる)が来てからというもの叶の調子はすこぶるよろしい。例の悪癖さえなければ最高の状態と言えよう。


「そうやなくてな…うーん、なんて言ったらいいんかな…」


直接的に言うことは以前畠が試みた。つまり、いい加減三橋三橋うるさい、と。結果は推して知るべし。とりあえず叶がキレて酷い状態になったことだけは確かである。
織田は目を細めて教室のドアをちらりと見る。他の部員が隠れてこちらの様子をうかがっているのだ。何か起こったら助けにいくと言われたものの、正直信憑性が薄い話である。織田の視線がやってきたので部員たちは手や目で何やら指示をしているのだが、さっぱりだ。
織田は何回目かとも知れないため息をついて、叶に真剣な目を向けた。こうなれば腹でもなんでも括れるものはすべて括ろう。


「そりゃ、三橋のことが大切なのはわかる。お前の大事な幼なじみなんやろ。でもな、ちょっとは俺らのことも考えて動いてくれへんと、このままじゃ…」
「あ。」


今後の三星のことも考えた織田の立派な台詞が叶の上げた声に中断させられる。
叶の視線は織田のズボンのポケットからはみ出したものに注がれていた。


「それ…」
「へ…あ、ああ、これか?」


織田は自分のポケットの中の物を引き出した。携帯についた、なんの変哲もないただのストラップである。小さな縦長の木の板に彫られた、「織田裕行」の文字。この間家族が群馬に来たときについでに東京観光をして、浅草だかどこだかで記念に作ったものだ。妹がお揃いで作りたいと駄々をこねたから作ったのだが、高校生男子としてはちょっと恥ずかしい。彼女と揃いで作ったのかと他の部員には詮索されたが、叶はその間も廉、廉、だったので気づいていなかったのだろう。そもそも気づいたからといって何らかの反応が返ってくるとは思ってもいなかった。
叶は穴があくほどじっと織田のストラップを見つめ、みるみるうちに瞳を輝かせた。猫がおいしい魚でも発見したかのように。


「これだ…!」
「な…なにが?」
「俺、ずっと考えてたんだ」


叶は織田の言葉を聞いているのかいないのかよく分からない返事をしながら立ち上がる。その目はどこか遠くを見つめ、やっぱり何も聞いていないのだろうと織田をうんざりさせた。


「離れてからずっと、思ってた。俺がいくら廉の幼なじみだからって、それに甘んじてたらあの可愛い可愛い廉はどこの馬の骨とも知れないバカな男に手を出されてしまうかもしれないって」
「いやあ…それは…………どうなんかな…?」


それはないとはっきり言い切れればよいものの、西浦のキャッチャーを思い出して織田は語尾を半疑問形でしめくくるしかなかった。あれは叶と同類の目だ。遠くから聞こえた「好きだよ!」とか、もう、フォローのしようがない。その後戻ってきた三橋に話しかけたら凄い形相で睨んでくるわ、ベンチで三橋の投球を甘く見る発言をしただけで次の打席で悪寒が走るわ。それが阿部の呪いか叶の呪いか正直わからない。


「だから、遠く離れていても廉が俺のだって周りの奴らに見せつけたかった」


叶は握り拳を力強く握りしめ、織田と、そして教室の外で覗いていた他の部員たちが最も恐れていた決心を固めてしまった。











「西浦に、殴りこむぞ」














今日も今日とて、西浦高校野球部は楽しく厳しく三橋愛!で練習をしている。
もちろん皆三橋が大好きで彼を気にかけているのだが、特にキャッチャーのそれは異常という言葉にふさわしい。


「いいか、三橋。絶対首は振るなよ」


熱い日差しを避けたベンチで、阿部は三橋に今日何回目とも知れぬ確認をした。泉には「阿部、ウザい」と吐き捨てられ花井には「それくらいにしてくれ頼むから!」と懇願されても彼の三橋好きはノンストップ。止まらない。
それにまるで気づかない当の三橋廉は、何回も繰り返される言葉に律儀に頷いて、


「う、ん!お、おれ、首、振らな、い、よっ!」


一生懸命な訴えが可愛らしい口から飛び出すその様子に、阿部はそのまま昇天しそうになりながらぎゅっと三橋の手を掴む。三橋は驚いてうおっと声を上げ目をまるくするが、別に嫌がっているわけではないと阿部はよく知っているので、それすら愛しくてたまらない。遠くの方から栄口の黒いオーラがにじり寄ってくるのにも田島が全速力で駆けてくるのにも気づいていたが、そんなのどうでもいい。


「三橋、俺は、お前が…」
「?」


首を傾げた三橋のかわいすぎる姿に、阿部がとうとう行動を起こしかけたとき。


「れーん!」


聞きなれた懐かしい声がして、三橋は阿部から視線を外した。阿部はもう頭の中が三橋一色だったので何も聞こえはしなかったが、三橋が自分以外の誰かに意識を移したことが判明した瞬間、彼はぐるりと首を回して声の主をガン見した。
向こうから走ってくるのは群馬にいるはずの叶修悟の姿。素晴らしい爽やかな笑顔で駆けてくる。実はここで叶の後ろから織田をはじめ三星の面々がエースを必死に追いかけてきているのだが、誰もそんな存在に気づいてはいない。
今日は平日だし、練習試合の予定もない。第一叶は制服のままだ。野球をしに来たのではない。なら、考えられることはただひとつ。


三橋に、会いに来たのだ。


「れーん♪」
「あ、しゅうちゃ…」
「なんだオマエ」


感動の再会を阿部が三橋と叶の間に立ってぶち壊す。三橋は叶に会えて普通に嬉しいので立ち上がりかけ、阿部の背中にぶつかりそうになった。
普段の叶ならばここでお前こそなんなんだと食ってかかったであろう。しかし、今日の叶は負のオーラを撒き散らすタレ目キャッチャーを見ても笑顔を崩さない。


「よう。俺、廉に用があるから。そこどけタレ目」
「断る。今は俺ら西浦最愛バッテリーのミーテ中だ。失せろツリ目」
「しゅ、うちゃっ…」


ひょこ、と小動物のように阿部の背から顔を出した三橋を見て、叶は目をキラキラさせて阿部をどつき、三橋を抱きしめた。


「廉…元気だったか?ちゃんと食べてるか?」
「う、んっ!しゅ、うちゃ、んは、げんきっ?」
「もちろん!廉のこといっつも考えてるからな☆」
「う、おっ!」


本当にそうなんや三橋、誇張表現でもなんでもないんや、となんとか追いついた織田は息を切らしながら泣きたくなりながら思った。向こうで畠たちが西浦のキャプテンと話している。おそらく互いに苦労をわかちあっているのだろう。それは構わないが、できれば現実を見てほしい。頼むから!


「おま、いい加減に…」
「今日は廉にプレゼント持って来たんだ!」


阿部が立ち上がりながら怒鳴るのを叶の楽しげな声がまた中断する。三橋はプレゼントと聞いて目を大きく見開いた。食べものと勘違いしているのだろうが、叶はそれをいい方にしかとらず、満足そうに頷くとポケットからそれを取り出した。


「じゃーん!」


取り出したそれを見て、阿部をはじめ様子を伺っていた西浦の面々は固まり、三橋は目を瞬かせた。
織田が持っているストラップと同じ仕様のもの。ただし、彫られている名前は、





叶廉。





「ほら、コレで廉と俺が仲良し、ってのがわかるだろ?ケータイにつけとけ!」
「う、おっ…仲良しっ!」


本当は下心満載なはずなのに叶が言うとそれだけで真っ当な意見に早変わりするのだから得だよな、と畠は思って苦虫を噛み潰したような顔をした。当の三橋は大喜びしているし、まあこれはこれでいいのかもしれないけれど。
三橋は叶からストラップを受け取り、大事に大事に握りしめた。大好きな幼なじみからもらったプレゼント。食べものでないのが少々残念だが、なんで自分は名前で叶は名字なのかよくわからなかったが、とにかく嬉しい。


が。


「三橋」


地の底から這い上がるような声が聞こえ、三橋はいつもの癖で肩を大きく震わせた。彼の人の声に三橋は弱い。というか、逆らえない。
阿部は完全に目が座った状態で三橋を見、叶を突き飛ばして抱きしめた。あまりに容赦ないその力に三橋は阿部の腕の中でぐえっと踏まれたカエルのような声を出す。


「そんなのが欲しかったのか…そう言ってくれればいくらでも作ってやったのに!阿部廉ってストラップ!」
「あ…あべく、も…仲良し?」
「ああもちろん!だってバッテリーだもん!」
「う、ひ…」
「どらあああっ!」


抱きしめる力の強さでくらくらしてきた三橋を、阿部にアッパーを食らわせ叶が救出する。毛を逆立てて威嚇する姿は本当に猫のようだ。


「三橋から離れろこの変態が!」
「ああ!?てめぇこそ三星へ帰れ!一生思い出に浸ってろ!」
「俺と廉との決して消せない思い出がそんなに羨ましいかこの間男が!」
「今三橋と誰よりも強い絆で結ばれてるのはオフィシャルで俺なんだよこの当て馬!」








「……はー」





似た者同士とはよく言ったもんやなあ、と織田はできるだけ遠くから二人の応酬を傍観していた。三橋の興味は既に他に移っており、栄口の持ってきたお菓子を田島と仲良く食べている。
ポケットから携帯を取り出し、織田は空を見上げる。心の中で、大阪の妹に謝った。











ごめんなあ。兄ちゃん、結構大変なんや。








叶に八つ当たりされる近い未来を想像しながら、織田は涙を流しつつ、そっとストラップを外すのだった。




















久しぶりに書いたのでこんなひどいことになってます(言い訳)。本当は某カノミハサイト様に捧げるカノミハを書こうとしてなんか変な方向へと突き進んでしまいました…。
なんだか織田の苦労話みたいですね!(汗)
読んで下さった方、ありがとうございます…!!


07,11,7

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