容易く手に入れたものではないのだから、容易く手放すわけがない








「断る」


きっぱりはっきり言ってやる。当然の話だ。
廉は肩を震わせて俯いた。顔は見えないが、十中八九、泣いてるときの反応だ。
なんだかこの様子だけ見ると俺がこいつをいじめているみたいなのが悔しい。廉はこんな性格だし容姿だから、いつだって庇護対象に見られがちだ。中学時代の奴らはよくこんなのを邪険にできたよな。それほどのことをしたってことなんだろうけど。
ただ俺にとってこいつの中学時代なんてのは単なる昔話であり、俺の知らない廉という凄まじく悔しい事実でしかない。悔しさのあまり大人げなく、そんなもの捨てちまえって言ったら珍しく大声で怒られた。それが嫉妬に拍車をかけるだけだという事実に、こいつはそろそろ気づいた方がいい。
そして考えなしのくせに、いつもいつも余計なことでぐるぐる悩んで人を苛つかせるのも。
廉は嗚咽を噛み殺して呻いた。あまり色っぽいものでも可愛いものでもない。ただ、俺からすると抱きしめて下さいと要求しているようにしか見えない。秋丸にお前も大概だよとため息をつかれたって、そう見えるものはそう見えるのだ。悪いか。


「廉」


廉は首を横に振った。何に対してそうしたかはよくわからない。本人もわかっていないに違いない。
こいつはこういうところがある。意味もなく、否定的な動作を繰り返してみたり、自虐的な台詞を吐いたりする。いじらしさなんてとうの昔に通りこし、ウザいほどに。
タカヤが怒ってばかりだというのも(まあアイツはちょっと特殊だが)わからないではない。

…って、そうだ。問題はタカヤだ。

廉相手に怒りをぶつける行為は会話を中断させるだけだということを俺は学んだ。だからといって突然優しくなれるはずもないので、低い声音のままに言葉を吐き出す。


「お前、タカヤに何言われた」
「は、るなさ、怒って…」
「怒ってなくはないけど、言わなきゃマジでキレる」


事実を端的に述べると、テーブルを挟んで真向かいに座る廉はそのままテーブルの下に隠れてしまうのではないかというほどに更に縮こまって、ぶるぶる震える。
何考えてんだか。どうせ俺に怒られるのが怖いってわけじゃないんだろう。むしろタカヤに知られたらって心配してんじゃねえの。

このバカ。

廉はタカヤを異常なまでに怖がるくせに、異常なまでの信頼を見せる。ただそれは俺からすると信頼というより服従だ。どこの世界に首を振らない投手がいるってんだ?
でも廉はその状態が心地いいって笑う。とてもとても嬉しそうに。
気づいてっか、廉。タカヤの話するときのお前、俺が告ったときよりずっと嬉しそうなんだよ。


「あータカヤ殺してぇー」


ファミレスのイスは妙に硬くて嫌いだ。ふんぞり返って天井を見ると背中に硬くて冷たい感触が生まれて疲れが増す。


「あっ、あべくっ…」


軽く目をやると、廉は俺の言葉を真に受けたのか真っ青になってなにやらばたばたしていた。予想通りと言えば予想通りなその反応にため息しか出てこない。


「ちげーだろ」
「?」
「こういうときは、榛名さんやめてください、だろ」
「はっ、はる、なさっ」
「別にいーけどよー!」


テーブル上の炭酸をひっつかんで煽る。グラスを無駄にバカでかい音を立てて置く。殴ったような衝撃音にまた廉が脅えて、瞳を潤ませた。


「俺が聞きたいのは!なんでいきなり別れるって言い出したかってことなんだよ!」


周りの客がこちらを見て、俺の剣幕にビビったのか慌てて視線を逸らした。
滅多に会えない中廉から久しぶりに誘われて、にやける顔を抑えながら来てみたら、「別れてください」。ふざけてる。
理由を問えば出てくるのは「阿部くん」だ。お前はタカヤの何なんだ。タカヤはお前の母親か?


「タカヤに何言われた」
「あ、う、お」
「言わなきゃ攫う」
「ふえっ!?」


廉はまた俺の言葉を本気にしたようで、足りない頭と語彙をなんとか駆使しようとぐるぐる考え始めた。目が泳いでいる。この程度のこと本気にするなよ…。


「榛名さん、が」
「俺が?」
「俺、を、りよう、する、って…」
「……利用?」


廉は縦に何度も首を振ると、ようやく俺を見た。瞳に籠もる脅えの色は未だ健在。


「俺か、ら、西浦のこと、とか、」
「……」
「投球のこと、聞いて…って」


また下ろされる視線。
タカヤのやつ、俺が廉からコントロールの良さとかを聞き出して利用しようって腹だと思ってるわけか。あの野球馬鹿なら有り得る。
だけど、むしろアイツが危惧してるのは、別のことだろうな。いろんな奴が廉を狙ってるのは俺だって知ってる。


「タカヤに、俺と付き合ってることは言ったな」
「は…い」


それは俺が言えって言った。こそこそするのは柄じゃないし、探られるのもムカつくからだ。
どうせ心配して干渉してくるかと思ってはいたが、廉だって一人の人間なのだから反発しなきゃおかしいだろ。なのにこいつときたら、本当にタカヤの言いなりらしい。
お前の俺への好きはその程度かよ、廉。


――お前ホントはタカヤが好きなんじゃねえの?


「え…?」


廉が心底驚いたような顔を上げた。
あれ、声に出てたか…?
廉は焦点の定まらない瞳のまま手元のカルピスのグラスを持って、口元へ運び、少しだけ飲んだ。両手でグラスを持ったまま揺れる液面を見つめる。


「お、おれ、投げるの、イチバン、すき、です」
「…おう」


知ってるよ。だからお前はタカヤが好きだし、俺も好きだったんだろ。
でも投球に対する憧れの中から俺は早く抜け出した。他の奴らに先越される前に、ちゃんと廉に好きになってもらったんだ。
こいつバカだから、勘違いしてないか何度も確認した。野球を好きなのとも、友達を好きなのとも違うぞって。そうしたら廉は確かに、恋愛としての好きですって笑った。そのときの天にも昇る気持ちを、俺は覚えてる。
お前は忘れたのかよ、廉。それともやっぱり違ったのか。勘違い、だったのか?


「だから、阿部くん、の、言うこと聞かない、と」


投げれない。
廉にしてはしっかりした言葉が届いた。
ファミレスの店内が、一瞬異常なまでに静かになった。
そうかやっぱりな、やっぱりお前には野球しかないんだな。この寂しい奴め、どうせウサギみたいに寂しくて死んじまうんだなお前は!
喉までせり上がった言葉はどこかで聞いたことがあるように空虚で、意味をなさない。


「そうか、よ」


結局つぶやいた台詞はかなり情けなかった。
空のグラスを取って口に持っていき傾けた。頼りない一滴が舌に乗って、終わった。微かに味はしたかもしれないがどうでもいい。
寂しいウサギは俺の方なんだろう。マジ、廉がいなかったら死んでしまうのに。
どうして今のお前は、何か決心したように淡々としてるんだ。そんなの廉じゃないだろ。
廉はぐすり、と洟をすすり。


「なんで、です、か」
「…?」


震える声で問うた。
俺は意味が分からず眉間に皺を寄せる。


「は、はるなさ、なら、もっと、怒る、です」
「はぁ?」


廉は意味不明なことを言いながらカルピスの白い海を見つめて唇を噛んだ。一旦引っ込んだ涙が突然頬を伝う。ちょ、待てよ!
さすがに俺は混乱して、今フラれた(らしい)事実も忘れておしぼりを取る。涙を拭くためだ。


「おい、れん、」
「どしてっ」


ばっ!と顔が上げられて、洪水のように涙を溢れさせた廉が俺の瞳を捕らえた。正直胸が異常に高鳴った。




「どうし、て、大声で、怒ってくれない、んですか…?」






「…っ」
「どうして、阿部くん、なんだ、とか、お前、俺のだろ、とか、言って、くれな…い…っ」


一際大粒の涙がこぼれ落ちた。ぐすんぐすんと洟をすすり、身体を震わせて廉は泣く。しょっぱい涙がカルピスに落ちて液面を波立たせた。
俺はいえば、廉のつむじを呆然と見つめるしかない。
なんだ。どういうことだ、これ。
アレか。廉に試されたのか。
俺が嫉妬するかどうかって――?


「……廉」
「ふぁい…」
「バカ野郎」
「ひっ…」
「行くぞ」


立ち上がり、二人分のカバンを掴んでレジへ向かう。
どうせドリンクバーしか頼んでいなかったので会計はすぐ済み、自動ドアの機械音と共にひやりとした外気に迎えられた。
まだ冬には早い。それでも夜空はなかなか澄み切っていて綺麗だ。


「廉」


歩き出しながら後方に呼びかける。


「は、いっ」


裏返った声が返ってきた。とたん肌寒いのが収まるなんて、俺はなんて単純なんだろう。


「俺はお前のおかげで恥をかいたよな?」
「ひぃっ…」
「ファミレスで大声出して、ガキみたいにイライラして」
「す、すすすみませ…!」


立ち止まる。ワンテンポ遅れて止まり損ねた廉が俺の背にぶつかった。


「へぶっ」


変な声で呻く廉を振り返って。


「別れるしかねーな」
「……!!」


無表情に近い顔で提案すると、廉が蜂蜜色の瞳をこぼれそうなほどに見開いて、小さな口を開いた。
その期を逃さず唇に食らいつく。


「んぅっ!?」
「ばーか」


すぐに唇を離して素気なく呟くと、ふわふわの頭にカバンを押し付ける。…今まで廉の分までカバンを持っていたのは逃げられないため、だなんて情けないから絶対言ってたまるか。
カバンの陰から廉は恐る恐るこちらを覗き、俺の機嫌を伺う。これはこれでちょっと可愛い。俺は赤くなっているはずの顔を背ける。


「誰に吹き込まれたんだよ」
「ま、マネジの…篠岡、さん」
「礼言っとけ」


普段嫉妬してばかりだから、廉にその嫉妬を喜ばれるなんてかなり驚いた。でも確かに、廉が嫉妬してくれたら俺は嬉しい。死ぬほど嬉しい。きっと。…絶対。


「廉」
「は、い」
「好きだ愛してる可愛い愛しい大好きだ抱かせろ結婚するぞ」
「ふえっ?」


一気に言葉をたたみかけると言語処理能力に欠陥が見られる廉は理解が追いつかずフリーズした。
それを見て俺は吹き出して。







「俺を選んだお前を、手放すわけねーだろ!」







だからとりあえず、「はい」って言っとけ!









そう言って、このバカを大切に大切に抱きしめた。













ハルミハは見た目は三橋の方が明らかにキョドキョドしてるんだけど、その実うまい具合に三橋と榛名さんが対等だと面白い。
読んで下さってありがとうございました!



07,10,23

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