〈証、を。〉 何故かはよくわからない。ただ、夕焼けを反射するショウウインドーの中、二つ 並んだ青い瞳がこちらを見た気がした……とでも言えばいいのか。 気づいたら店の中。嘆息して、あきらめて店内を見ていて気づいたら、今度は手 の中に小さな箱。ピンク色のリボンをあしらわれて、誰かへのプレゼントになっ てしまっている。さすがにここまでくると笑えてきた。 しかしどうしたものか。自分にはこんなもの付ける趣味はない。第一ヒットマン としてどうだろう。 なら――そう考えすぐさま頭に浮かんだ顔に、苦笑する。だがあいつ以外に渡す 相手はない。 ノックは二回。それ以上もそれ以下も、リボーンの中にはない。それで返答があ ったら入室するし、なかったら何の未練も残さず立ち去る。それが普段の彼だ。 ――出ない、な。 いつもならすぐ返ってくる男のくせに高めの声は、しかし今日は静寂を破りはし ない。 少し躊躇いはしたが、ちんたらやっていては他の奴らも帰ってきてしまう。 「入るぞ」 リボーンは言いながら重厚なボンゴレボスの執務室の扉を開ける。 「………ダメツナが」 そこにはボンゴレ十代目沢田綱吉がいた。すぴーというなんとも平和な寝息を立 てて、デスクに突っ伏して寝ている。 リボーンはため息をつくとツナのデスクに近寄る。このマフィアのボスはちっと も起きる気配がない。これを職務怠慢と見るべきか、不用心にも程があると見る べきか、それとも護衛達を信頼しきっている故になせる技と見るべきか。 ――少なくとも、教育のし直しだな。 リボーンはデスクに寄りかかって、寝ているツナの顔を眺めた。一分、二分。起 きる気配はない まあツナが中学生の頃からの付き合いなわけだから、こういうことにもいい加減 慣れている。このやたらすぐにため息をつくボスと違い、リボーンはもう嘆息し たりはしなかった。そのかわり。胸の内ポケットから小さな――掌よりも小さな 平たい箱を取り出す。その箱をじっと見つめて…視線をツナに戻す。自分と十以 上はなれたこの青年は、未だに少年の面影を消せず、むしろ可愛らしいままでい る。不思議なことだ。 空いた右手でそ…っとツナの耳にかかる髪をかきあげる。耳と共に白い首筋が露 になる。肩の辺りまで髪を伸ばしているので、今では滅多にお目にかかれない。 こんな時でなければ。 その、耳から首筋にかけてのラインを目で追って、リボーンは不思議な不快感に 襲われた。 「………」 何故だか、このプレゼントを渡したくなくなった。 髪をかきあげたまま止まっていた手をゆっくり離し、左手の中息を潜めていた小 箱のリボンをしゅるりと解く。包装紙を手早く取り去って、真っ白な箱本体だけ が残った。 蓋を開ける。中ではふわふわの綿に身を沈めた青い宝石が二つ、それぞれ金の装 飾に繋がっている。 ピアスだった。 箱をそっと机上に置き、さっきと同じように右手でツナの耳にかかる髪をかきあ げる。そして左手でそっとピアスの片方を持ち上げ、綱吉の耳に近づける。 ピアスは耳元できらりと輝いた。白い耳に、よく映える。 「綺麗、だ」 呟く。あまり自分らしいとは思えないが、まあたまにはいい。 ――だが。 今になってリボーンの中に嫌なわだかまりが居座っていた。このプレゼントをツ ナに贈ることへの微かな――時と共にどんどん増大してゆく拒否感。 ――これはおそらく。 ツナにピアスを選んできたこと。それはきっと、いや間違いなく、ツナが自分の ものであるという証拠をつけるためだ。ピアスという、誰が見ても彼の顔を見つ める限り必ず目に入る――いや、髪に隠れてしまうだろう。それでいい。誰と共 にいても、ツナが髪をかきあげるごとに、自分の存在が確実に示される。かきあ げなくとも、確かに存在している。さりげなく。しかし、確実に。 それと同時にピアスという装身具は、身体に傷をつけて身につけるものだ。ピア スを外しても、自然の摂理がその穴を埋めるまでそこに自分はいられる。何より 、それは証だ。ツナが、自分のものであるということの。 だがしかし、よく考えてみるとこれは… 「ガキのすることだな」 リボーンはまたツナから手を、ピアスを離した。 自信がない。または相手が信じられない。証を残そうと躍起になるのはそんな子 どものすることだ。宝石や傷一つが一体何になるというのだろうか。 ――馬鹿馬鹿しい。 これが、不快感の理由。 ピアスを机上にぽとりと落として、リボーンは自嘲する。 そして、口を開く。 「愛してる」 何の音も聞こえない薄暗い部屋の中に、リボーンの言葉が響きを持たずに放たれ る。 ――違う。 「好きだ、ツナ」 何かが。 「お前だけがいれば、俺は構わない」 おかしい。 「どうしたんだ…?」 感じた違和感が、思わず口に出ていた。 単なる子ども騙しをしようとした自分。わだかまりの原因はそれのはずだ。それ はわかった。きちんと自分を嘲ってやった。 それなのに…肝心のわだかまりが、消えない。 ――違うのか?その答えは。 目の前で眠るツナを見やる。幸せそうな顔で眠る彼。愛しい。心から思う。 目を瞑ってみた。何がどうというわけではない。ただ、真っ先に暗闇を打ち破る 自分の記憶は、目の前にいる少年の笑顔。ツナはにっこり微笑む。その後ろには 、いつもの五月蝿いが強い信念を持った仲間達…… 「あ……ッ」 リボーンは声をあげるのと同時に目を見開いた。彼らしくもなかった。 わかったのだった。何故こんなにも、ツナに傷を――自分の証をつけたがらない 自分がいるのか。 ボスだから、だった。そう、ボンゴレのボスだから。自分一人のものではない。 心の何処かで、強く意識してきたことが全てに増してストッパーをかけている。 『ボスってのはファミリーの奴ら全員に平等じゃなきゃならねえぞ』 かつて自分が言いきかせた言葉が蘇る。残酷な響きを纏って。 リボーンは下唇を噛んだ。歪んだ笑みが浮かんでいた。 「…馬鹿め」 別に証をつけることなど何の掟破りでもないし、ボスであるツナを自分のものに することだって別段問題ではない。 しかし、リボーンの中には少なからずそのことへの抵抗がある。 ――俺の、コイツヘの想いは、その程度か。 自問したところで、答えはコレだ。自分の証をつけることにさえ、わだかまりを 感じている。 「くそ……ッ」 拳をきつく握りしめる。 だが、自分はボンゴレ十代目の家庭教師だ。今までも、そしてこれからも。自分 で望んだことだ。 ――何も考えずに、愛するなんて― 「あれぇ…リボーン、来てたのかあ〜」 「……ツナ」 いつの間にかツナがとろんとした瞳でこちらを見ていた。 愛しい。愛しているのに。 まだ眠気が抜けていないのか、ツナはぼーっとした顔で辺りを見回す。 そして、机上の小さな代物に気づいた。 「あ〜なんだこれピアス〜?」 「ああ」 「ふ〜ん…」 ツナは眠たそうな表情のままピアスを目の高さまで持ち上げる。 「ふああ…誰にあげるんだ〜?」 「…何となく買ってみただけだ。よく考えたらやる相手もいないし、明日返品し てくる」 「ふうん…」 ツナは指先でピアスをいじると、リボーンに渡した。 「まあ、俺へのプレゼントにピアスは止めろよ〜。痛いのヤだし」 「……誰がやるか」 ――この馬鹿。最後通告のつもりか? ツナはへへ〜と笑いながら目を閉じる。 「だってぇ…ピアスとったらあんま綺麗じゃなくなるじゃん、穴空いた耳なん… て…」 そう言った。そして寝た。 「……」 ツナがどういう意味でそう言ったのかはわからない。穴の空いた耳が見た目よろ しくないという意味か、それともピアスをつけていると外した時との差が激しく て嫌だという意味なのか。 しかしここは前者ということにしておこう。あのツナが寝ぼけて複雑なことを考 えられるはずがない。 …ならば。 「馬鹿だな、本当に」 俺は。 寝息を立て始めたツナの頭を撫でる。微かに、笑ったように見えた。 「いいんだな、それで」 子ども騙しが気にくわなかったのでも、ボンゴレという名と自分の宿命に縛られ たのでもない。 ただ、ツナの耳に傷などつけたくなかったのだ。 白く綺麗な、柔らかいそれに。傷などつけたら他の美しさも、きっと失われてし まう。 よく考えてみると、自分が今まで一番嫌がったのはツナを傷つけることだろう。 指導の中ではしょうがないとしても――あの頃はまだ、自分の気持ちに整理など ついていなかった――少なくともこの愛しいボスの泣き顔を見るのは、あの頃か ら大嫌いだった。 ――単純なことだ。傷をつけたくない。傷つけたくない。 リボーンは疲れた表情で大きく息を吐き出した。机上の箱を見、もう一つのピア スも取り出す。さっきツナから返されたのと二つを片手に握りしめ、デスクから 離れて執務室の大きな窓に向かった。 鍵を外し、自分の身体よりも大きな窓を押すようにして全開にする。ほんの少し 、肌寒い風が入り込む。眼下に広がるのは、ボンゴレの庭園。中央に真っ直ぐ伸 びた道の先に門があり、その先はイタリアの街並が地平線の彼方まで広がる。既 に夜になってしまっており、街には星空より多い光の粒達が瞬いている。 リボーンは軽く息を吸い、止める。そして右手を大きくふりかぶって、弓のよう に腕をしならせ、ピアスを空中に放った。 一瞬で二つの青い瞬きは遠くの街並を背景に消え失せた。 名残惜しむことなく、窓を閉める。これ以上開いていたら、何処かの馬鹿が風邪 をひくだろう。 リボーンは暗い部屋の中でツナの前に立った。 「ツナ」 はっきりとした声で言う。もし起きたらそれでいい。 「俺は、お前が好きだ」 いつもと何ら変わらぬ口調で。 「だから、お前に証を残したかった。傷をつけるという、形で」 でも一言一言口にする度、確な自信が膨れ上がる。 リボーンはツナの頬に触れた。ツナは起きない。 「だけど、やっぱり嫌だ。だからこれで我慢してくれ」 顔をそっと近づけて、唇を重ねる。深く、深く口づける。証を、つけるように。 名残惜しそうに、彼はゆっくり離れた。 「ん…」 ツナが眠た気な声と共に顔を上げる。 「リボーン…?」 「ああ」 「なに…やってんの?」 「……お前は、何がいい?」 「なにが…」 「俺が生きた証として、俺がお前を愛する証として、お前が俺のものである証と して。何が欲しい?どうしてほしい?」 「……」 ツナは焦点のあっていないような目で、リボーンを見た。見て、美しい微笑みを 浮かべた。 「何も。俺の中に、お前の証はちゃんとあるから。他人に見せるためじゃないか ら、それでいい」 リボーンも微笑んだ。ひどく優しい笑み。 「そうか」 「ああ、でも」 「?」 ツナは悪戯っぽい笑顔を見せる。そして抱き上げてもらうのをせがむ子どものよ うに、両手をリボーンに伸ばして、彼の首の後ろで組む。柔らかな線を描く唇が 、誘うように言葉を紡ぐ。 「もう一度、証を」 「……」 リボーンはツナの顔にまた触れて、耳にかかる髪をかきあげた。綺麗なままの耳 を見とめて、小さく笑う。 唇を寸前まで近づけて止め、目を閉じ自分の愛を待つこの愛すべき少年を、愛し げに見つめる。 「証、を。ツナ」 「うん、証、を。リボーン」 一回口づけて、すぐに離れて、二人は唱和する。 「「愛してる」」 おわり コロツナと全然リンクしていませんが、どちらもボンゴレボスの執務室が舞台で「窓」を出す というのがポイント?だったので、微妙にシリーズ化(笑) 甘あまだなあお前ら…(苦笑)