互いに、向こうから人が来ているのはわかっていた。
しかし、やはり互いに、同じドアの前で足を止めるだなんて思ってもみず。
〈副委員長の草壁さんと沢田綱吉〉
「あ」
「ん」
二人、ほぼ同時に声を上げる。
草壁にしてみればここに自分がいるのは至極当たり前のことであり、驚かれる筋合いはない。むしろツナがここに来ることが異常である。
が、ツナはポカンと口を開けて草壁を凝視する。
ツナからしてみれば、もちろん草壁がここにいることは想定内であるし、自分がここにいることに比べたらずっと自然なことに思われる。
が、草壁はそんな自分を無視してドアを開けようとはしない。
「……」
「……」
互いに目を合わせてしまったら、そらせなくなってしまった。
放課後の応接室の付近に人がいることは殆ど無い。階段を昇り降りする足音も反響してこない。
外から運動部のかけ声らしいものが聞こえるのみ。
「……」
草壁はぼんやりと、考えを巡らせる。
沢田綱吉といえば、雲雀が今までに幾度となく闘い、それでもこうやって無事に学校に通い続ける奇妙な少年である。かつてそんなことは一度たりとてなく、草壁にとっては不思議でたまらなかった。
利用価値がありそうにも見えない。そもそもあの委員長はそんな価値等に思考を向ける人ではないのだが、それにしても。
草壁より頭一つも二つも小柄で、柔らかな茶髪、茶色い瞳。小動物を思わせる容姿である。これでよくあの委員長の機嫌を損ねないものだ。
「……」
ツナはツナで、いやしかしこちらは多少脅えつつ、思考を働かせていた。
風紀委員会副委員長、草壁。その古風ないでたちそのもののような物言い、態度。雲雀よりはまともそうな彼に、きっと雲雀さんといっしょにいると苦労するんだろうなぁ、とツナは親近感に近いものを覚えたりしている。
彼のような忠義だのなんだのを重んじるようなタイプが、何故雲雀のもとで大人しく言うことを聞いているのかは不思議だったが、それは自分の知る必要があることではないことで。
「……」
「……」
陽が、傾く。橙色の光が開け放たれた窓から差し込む。
「ここへは」
先に言葉を発したのは、草壁だった。
「はいっ」
決して強い口調ではなかったはずだが、ツナは背筋を伸ばして固まる。
それを間近で見て。
――本当に、何故、こんな者を、委員長は。
「ここへは、何をしに来た。関係者以外立ち入り禁止区域のはずだが」
群れるのを極度に嫌う雲雀のために、放課後の応接室がある廊下は立ち入り禁止区域指定を受けている。当然のように、教師も寄り付かない。
ツナは、しばらく言われたことの意味がわからないようにぼんやり草壁を見ていたが、はっ、と突然すべてを理解すると、目をあちらこちらへさ迷わせはじめた。冷や汗を垂らして、あからさまに焦っている。
「……」
単なる不良や血気盛んな生徒ならば、雲雀に対する恨みを晴らしにきた、というのも大概無謀だがわからなくはない。
しかし草壁は、目の前でびくびく脅えるこの少年がその類だとはどうしても思えなかった。雲雀に一撃を加えたというのも、あまりに信憑性がない話である。
とはいえ、このままではらちがあかない。
「答えろ、沢田綱吉。何故ここにいる」
低い声でフルネームを呼ばれたツナは、びくんっ、と肩を震わせた後、黄金色に染まる床に向けられていた瞳をおそるおそる草壁に戻す。
全身黒い学ランで体格のよい草壁は、落ちかけた陽の中でよりいっそう威厳をかもしだしていた。
「…つい」
ようやくツナは、小さい声で言った。そして黙る。
草壁は眉をひそめた。
今のが自分の質問に対する答えであり、理由だとでも言うのだろうか。有り得ない。
ツナは少し視線を落として、バツが悪そうな顔をする。
「つい…来てしまって」
「……」
「すみません…」
ぎこちなく、頭を下げる。
しかしツナにとってそれは紛れもない真実。来てはいけないとわかっているのに、気づくと足が向かっている。イヤそっちダメ、ダメだって俺、と自分を説得するものの歩みは止まらず。どこで止めてよいのかわからず。
草壁は外に視線を移した。金色の太陽はまだまだ沈みそうにない。
――どうしようか。
瞬間、心に生まれた問い。しかしそれは草壁を動揺させた。
自分が、並盛中風紀委員会副委員長の自分が、こんな小さく弱い少年ひとりに何を戸惑っているのだろうか。第一、姿を見た瞬間に立ち去れと言えば済んだことのはず。
ツナに目を戻した彼は、一つの結論に達した。
すなわち、
――こいつに、翻弄されている?
そう思った途端、脳裏をかすめたのは委員長の姿。
「……」
草壁は、微かに口角を上げる。
「…俺も」
穏やかに紡がれた言葉に、ツナは顔を上げた。まだ瞳から脅えの色は消えていない。
「つい、来てしまった」
「…?」
思いもよらぬ台詞に、ツナは軽く首を傾げる。
草壁は今度はツナにもわかるように微笑んで。
「俺達は、似ているのかもな」
ツナは目をぱちくり、とさせた。
何を言われているのか考えて、混乱する。
「つい、委員長のところに来てしまう」
「あ」
なるほど、といったようにツナが感心したように目を見開く。
自分の前でこんな自然な表情を見せるとは、これでなかなか大物なのかもしれない、と草壁は思った。
それはよくわからなかったが、嫌なものではなかった。
「似て、ますね」
「ああ。似ている」
ツナはおどおどと草壁を見上げ、遠慮がちに微笑んだ。
「いいんですか?」
草壁は微笑んでうなづく。
「無論。故意でないなら、仕様がない」
「…こ、い?」
ツナは言われた言葉を頭の中で一生懸命咀嚼して、あ、と声を上げた。
「どうかしたか?」
「あ…っ、その、一瞬『こい』を『故意』に変換できなくて、その」
「……」
今度は草壁が『こい』を変換できなかった。
――恋?
そう思って、ツナを見ると顔が赤くて。
ああ、やはりそうなのだと。
「俺達はよく似ているが」
ツナがきょとんとした瞳を向けてきて。
「結局は、」
ガラッ
応接室のドアが、突然開き。
「…何やってるの」
そこには不機嫌そうな顔の、風紀委員会委員長の姿が。
「委員長」
「あっ…雲雀さん!」
二人に言われ、雲雀は二人を見比べて。
「…?」
普段では有り得ない組み合わせに、眉をひそめる。
そしてツナに目を向けると、
「何しに来たの、綱吉」
「え…あ、その…」
返答に困ったツナは、ちらりと草壁に救援を求める。
雲雀に気付かれないように、草壁はうなづいて。気分はまるで、悪戯小僧のようではあるが。
「ご報告です。2−A沢田綱吉が、本日の風紀活動についての講評を述べに参りました、委員長」
「…へえ」
雲雀は、に、と笑うと、ツナの腕を掴んで引き寄せた。
「わ…!?」
「じゃあ聞いてあげるから。ゆっくりしていくといい」
そう言って、ツナを応接室の中に押し込む。バランスを崩したツナは転びそうになりながらも、室内でなんとか体勢を立て直した。
「では委員長、私はこれで」
草壁は雲雀に頭を下げると、立ち去ろうとした。
「草壁」
直後にかけられた、先程とは違う低い声音に、すぐさま踵を返す。
「何でしょうか」
雲雀は眉間にしわを寄せ、ちらり、と後方のツナに目をやってから。
「あの子と…何話してたの」
だいぶ小さな声で出された言葉に、草壁は目を見開いて。
それから、穏やかに微笑む。
「少々、内緒の話を」
「……」
雲雀は、気にくわない、とだけ言って、草壁を閉め出すように勢いよくドアを閉めた。
「……」
草壁は室内から聞こえはじめた会話の声に向かってもう一度頭を下げた。そして、その場を離れる。
廊下はまだ、黄色い光線を受けて、橙と黒のコントラストを描いている。
――あれは、やはり。
先程の、ツナの顔。
先程の、雲雀の言葉。
先程の、自分の返事。
「結局、は」
先程言えなかった言葉の続きを。
「結局は――俺もお前も、委員長が好きなのだな」
――形は違えど。
「気が、合いそうだ。沢田綱吉」
終
草壁×雲雀でも、草壁×ツナでもなく。
草壁さんもツナも、結局雲雀さん好きよね、という話。
07,9,11
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