――あり得ないハナシを、しようじゃないか。
〈Theres no way those things happen!!〉
叶修悟は今日、普段よりたった一回多く、腕立て伏せをした。
「なあ、畠」
「ああ?」
「お前、何でキャッチャーになったんだ?」
ぶ。畠は飲んでいたスポーツドリンクを吹き出した。
口に手を当ててゴホゴホむせる畠を見、叶は怪訝そうに首を傾げる。
「なにやってんだお前…」
「なに言ってんだお前!?」
顔を近づけ叫ぶと、畠は椅子の背にかけてあったタオルで顔を拭いた。整理しよう。今のはすべて、突然変なことを言い出した叶のせいである。あとで弁償させようと心に決めつつ、畠は叶に向き直った。
――あ。
畠の前にいる叶は、じっと自分の手を眺めている。それは確かに叶なのだが、普段と異なる空気をまとっていた。
普段話すのは野球のことばかりだから突然勉強の話だとかを持ち出されても気持ち悪いものがあるのだが、たまに叶は奇妙な発言をする。そんなときの彼の目線は、どこか遠い。
そしてそんな叶が何を考えているのか……訂正、誰のことを考えているのか、畠には確信を持って言えるほどにわかっている。だからこそ対応に少し困る。
いないのだ。どんなに考えても、想っても、ここには、もう。
叶はそれを誰よりも知っているのでどんな慰めも叱咤も既に二番煎じというか、空回りする綺麗事、というか。
どこまで行っても三橋が三星にいないことは変化しない。
畠は頭をかく。瞬間うつむかせた顔は絶対に叶からは見えていないだろう。そもそもこちらを見てはいないし、そうでないと困る。
自分が三橋のことを思い出してどんな顔をしているか、自分自身まるで想像つかないのだから。
「なんで、キャッチャーになったか、って?」
ようやくため息のような声をしぼり出すと、叶は遠くにやっていた視線を畠に移してうなづいた。その瞳が真剣なので、ああやっぱり三橋のことなんだなと思う。
畠は仕方ないので、顎に手をやりつつうーんと唸った。そこまで悩むほどの話ではないが、真剣な叶の手前適当な返事は怒られそうである。
「まあ…体格とか、足の速さとか、そもそも向いてる向いてない、ってのがあるだろ。あとは中学に入ってからは監督が決めて…」
「向いてる向いてない…?」
叶はつり上がった猫目を見開いた。呆けたようなその表情に、畠は驚いたものの、おう、と首を縦に振る。
叶は畠の様子は気に留めず、もう一度向いてる向いてない、と繰り返した。その様子が目を泳がせる三橋と一瞬被って見えて畠は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、叶は見ていない。
――相変わらず三橋のことになるとこうなんだからな…。
いくら考えても答えが出ないなら、気が済むまで考え続ければいい。そう思って、荷物をまとめて部室の出口に向かう。
「先、帰るからな」
「畠」
踵を返した足が止まる。呼ばれたが振り向かなかった。なんだか声の調子からして、その方がいい気がしたから。
「おれ、キャッチャーだったら、って思う」
「な」
「ときどき…すごく、思う」
叶はそう言って、でもお前を責めてるわけじゃなくて、と笑い混じりの声を出した。ひどく疲れたような声音に、畠の眉がぴくりと上がる。
叶の言っていることは自分を責めることに直結する。けれど叶が言うように、叶は別に畠を責めているわけではないのだ。
責めているのは、投手である自分。三橋を助けられなかった自分。
それをわかってしまっただけに、畠は肩で大きくため息をつくしかなかった。
ああ、なんでこんなにも、ウチのエースは女々しくなっているのか。恋って恐ろしい。
額に当てた手は、なんだか頭を抱えているみたいになってしまった。
「ありえねえよ、ほんとに」
「知ってる」
「お前、投手だろ。好きなんだろ、投げるの」
「…知ってる」
「それから!」
ひときわ大きく。
「三橋が好きなのは…投げてる叶修悟なんだろ!」
畠は振り返った。驚愕して目と口をマヌケに開いた叶の姿を捕える。
普段マウンドで見せるあの気迫はどこへ行った!?と一発殴ってやりたくなった。
「あの、とてつもなく遅いけどコントロール抜群の球を受けてくれる叶修悟じゃなくて!あいつが好きなのは、いつだって投げてる叶なんだろうが!」
いつの間にか拳を強く握り締めていた。なんでこんなに大声で言ってやらなくてはいけないのか。なんか熱いキャラみたいですごく変な気分だし、だいいち叶はそんなに深い意味や悩みを抱えていたわけではないのかもしれない。なんだかきょとんとしているし、あれ、もしかして相当恥ずかしい台詞だった…?
ぐるぐるし始めた畠だったが、もうここまできたら腹を決める。
「阿部、に取られて悔しいなら、んなくだらないこと言わないで練習しろよ!」
あのタレ目キャッチャーのことがムカつくのはこちらも同じだ。何でも知ってるように三橋に接しやがって。
お前もそうなんだろ、叶。畠は目に力を込めて訴えた。
しばらく叶はマヌケ面のままだったが、ゆっくり視線を手に落として、
「…そうだな」
ポツリとつぶやいた。
「そうだよ」
「ごめん畠、おれ」
「…いいこと教えてやろうか」
畠はカバンを肩にかけ直しながら、ドアを振り向いた。ドアノブに手をかける。汗のにじんだてのひらは銀のノブに吸い付くように張りついた。
「ピッチャーの気持ちが一番にわかるのはキャッチャーじゃなくて、同じピッチャーなんだからな」
覚えとけよ。どう頑張ったって、キャッチャーはマウンドには立てないんだぞ。
そう言ってドアを閉める直前。
「サンキュ。でも、知ってた」
小さな声が応えた。
あり得ないから。あり得ないけど。あり得ないからこそ。
「明日は、いつも通りに筋トレしよ」
叶はつぶやいて、勢いをつけて立ち上がった。
必要なのはボールを受ける力じゃなくて。
廉を抱きとめる力だけ。
廉をわかってやれる、心だけで、いい。
「ピッチャーで、よかった」
あり得ないハナシ、終わり。
終
カノミハ+畠な図式が好きです。畠ミハも好きなんですがあまり見ない…。
かのたんは阿部のことを少なからずライバル視してるといいなあ。
07,9,10
戻る