二等辺三角形
残酷だ、と思う。
知らないから、わかっていないからこそ出来るんだろう。そうじゃなきゃこんなこと…そう思って山本は、自嘲した。
机に描かれた、相合い傘。朝見たときは無かったから、山本のことを好きな女子か、からかいたい盛りの悪友達かが描いたようだった。片方に山本、もう片方が空欄の相合い傘の犯人からは、一目見た瞬間獄寺とツナは弾かれた。獄寺はともかく、ツナは――きっと、頼んだってこんなこと、してくれないに違いない。
誰が好きなの、直接そう問うてほしかった。そうしたら上手く立ち回っていつも通り誤魔化していればいい。けれどこれは、誰かの名を書くまで消えない。
いっそ消して、明日の朝誤魔化そうか――山本は深いため息をついた。放課後の教室には誰もいない。もうそろそろ部活に行かないとまずい時間だが、不思議と身体の機能は停止していた。
昔のように誰もいなかったなら、こんなこと有り得なかった。山本には野球以上の他人との媒介、そして自己表現の方法がなかったから。友達といても不意に野球がしたくなる癖があったのはそのせいだろう。
でも自分はもう――野球を捨ててでも一生付いていきたいと思える存在に、出会ってしまった。
「ツナ」
会いたいな、と思ったら意外とすんなり彼の名前が舌に乗った。ツナ。その魔法の言葉には何度も助けられたのに、今聞くと胸が痛い。杞憂に過ぎないのかもしれないけれど。
もう一度相合い傘を見やる。こんな他愛ないことでさえ、どうしようもなく山本を苛んだ。ツナに迷惑をかけたくない。だけれどもやっぱり山本が好きなのはツナただ一人で、遊びでだって他人の名をそこに記す訳にはいかなかった。
いつの間にこんな女々しくなってしまったのかと思って、深く深く息を吐く。と、廊下を走る音が聞こえた。
ぱたぱた、ぱたぱたと乾いた音が響き、山本の視線が教室のドアに向かう。
ひょこりとドアから顔を覗かせたのは、ツナだった。
喜びで胸が膨れ、同時に痛みで押し潰されるような感覚が身を襲い、上手く笑えているかわからないまま山本は口を歪めた。
「ツナ、どうしたんだ?」
「え…と、ノート忘れたから取りに…宿題の」
「あぁ、アレな」
ツナはきょとんとして山本を見つめた。部活に行っていないのが不思議なんだろう。
ツナ相手に言い訳が通じるとは思っていなかった。山本は外を見ずに笑って立ち上がった。
「じゃあ俺、そろそろ部活行くのな〜」
「あ…うん、頑張って…」
カバンを肩に掛け、ツナの横を通り過ぎる。
また明日な、うんまた明日。すれ違いざまそんな風に曖昧な笑顔を交わして、山本は部活へ向かった。背中が何だか寂しいなとツナは思い、それは多分に日の光のせいだろうと納得したような気分になった。
(あ、ノート…)
家で雁首並べて待っているだろう自称右腕や家庭教師を思い出して頭を振りつつ、自分の席へ向かう。山本の隣りという好立地は、席替え当初は猛反発を食らった。が、すぐそれも無くなり、獄寺が目を光らせる中だけれども山本と過ごせる普通の学生生活にツナは浸れた。
ノートは入れた場所にきちんとそのまま入っており、ツナはほっと一息ついて、急く心を落ち着かせながら踵を返そうとし、それを見つけた。
(…?)
隣りの山本の机に濃く書かれたそれは、相手の名前が無いせいでしばらく何なのかわからなかった。
ツナの思考が相合い傘という存在に追い付いたとき、既にツナは一歩踏み出していた。
実際に見るのは初めてだ。三角の中央を貫くように直線が引かれ、左側には「山本」の文字。右には誰もいない。
山本の筆跡とは違うし、山本がこんなものを書くのは何となく想像出来なかった。多分クラスの誰かが遊び半分でやったんだろうとツナは思い、合点がいった。
(山本、誰の名前書くか考えてたんじゃ)
違う可能性も充分あった。けれどそう結論づけたらそれしか考えられなくなる。
山本は、どんな気持ちで、誰を想って、ここにいたんだろうか。
ツナはそっと、壊れ物を扱うみたいに相合い傘に触れた。彼もこうやってみたのかな、と思うと不思議だった。
ツナは誰の名も無いそこに、指を押し当てる。机はひんやりしていた。
ツナの指が動く。躊躇わなかった。
綱、吉、と、
「っ!」
ツナは自分のしていることにハッとして呆然と自身の指先を見つめた。
慌ててドアに向かった。ノートを忘れていないか左手を見るときちんと握られていた。
そのまま教室を出ると早歩きで昇降口に向かう。
ひたひたとエナメルの廊下を叩く足音が、なだらかに加速してゆく。
(俺は――なんで!)
もうほとんど走りながら、ツナはただ問うた。自分と彼と、本来の自分の想い人であるはずの心優しい少女に。
走って走って、涙が風に擦り切れた。
終
へろへろタップさまより、二人がお互いに思いあう、切ない系の山ツナ。
ちょっと可哀想すぎたかしら…というか切ないと言うより痛々しいですねすみません;
山→←ツナですが、まだツナは自覚半分、という感じで。
素敵リクありがとうございましたv宜しければお持ち帰り下さい。
08,11,25