パシリのススメ




 あっちい。
 エアコンの温度設定は確かに下げたはずだ。なのにやたら暑くて熱気が部屋を包む。
 そんなに熱いのが嫌なら熱源であるテレビゲームを止めればいいと同室の先輩に苦笑されたが、倉持は汗を拭いつつ首を振った。


「アイツに勝てるようにしとかなきゃなんないんで」


 増子はまだ余裕があるだろうにと笑った。時には徹夜してまでゲームに励む倉持に、あの子が一朝一夕で勝てるようになるわけがない。
 それでも先輩の威厳を保とうとするのだから――実際はもう少し複雑が事情が絡んでいるわけだが――沢村への入れ込み方がうかがえるというもの。
 口には決して出さないけれどこの後輩がいかにあの後輩を思っているか知っている増子は、自然穏やかな笑顔になる。


「どうしたんですか、増子さん?」
「いやー。青春だなあ、と」
「はぁ…?」


 首を傾げつつも倉持はテレビに向き直る。画面では楽しく有り得ない感じにゴルフが繰り広げられている。
 増子は壁の時計を見やった。長針が既に十一時を指している。


「沢村ちゃん、遅いな?」
「そう…すか?」


 口先でぽつりと言葉を返し、倉持はボタンを連打する。そういえばいつも通りパシリを言いつけ追い出してからだいぶ経ったなと感じてはいたが、そんなに経っていたのだろうか。
 ちらりとテレビ画面下部のデジタル時計を見ると、確かに出ていってから軽く十分は経過している。
 いやしかし、遅いと言うほどではないはずだ。あのうるさい沢村のこと。どうせ道中で何かやらかしたか、絡まれたか、寝ているか、もしくは…


「あー、倉持」
「ヒャハ、何すか?」
「ゲームオーバーだな」
「は…?」


 ハッとしてテレビを見ると、いつの間にやらゲーム終了の映像が流れ始めていた。
 コントローラーを床に置き、額を拭う。暑い。
 増子が後ろからじっと見ていることには気づいていたが、特には言及せずにまたコントローラーを拾い上げる。何て言われるか大体見当がついていたのだ。
 はじめからを選択すれば、すぐに画面は元通りになる。


「倉持」


 呆れたような、苦笑したようなその声。
 倉持と沢村が付き合っている、というのは増子くらいしか知らない。互いに恥ずかしがったし、この人は無駄にそんなことを他言する人ではないから。
 この人は本気で自分を――というか、自分たちを心配してくれている。
 それは、わかっているけれど。
 倉持は振り向かずに手をひらひら振った。


「大丈夫っすよ。どうせアイツのことだから、どっか寄り道しくさってんじゃないですか?帰ってきたら技かけてやらなきゃー」


 そう、別に自分の目の届く範囲にいなくても、平気だ。
 練習のとき沢村はすぐキャッチャーにすり寄っていくし、キャッチャーはキャッチャーで――それがクリスにしろ御幸にしろ――嬉しそうに応じている。投げることが中心で、だからこちらの方なんてまるで見ていないに違いない。こっちがどんなに探しているかなんて知らずに。  練習のときでさえそうなのだ。
 今更、たった十分姿が見えないからって、そんな。


「沢村ちゃん、誰かに絡まれてやしないかな」
「ヒャハ、絡まれてるんじゃないですか、きっと。あいつ馬鹿だし」


 コントローラーが汗で滑った。ちっと舌打ちすると少し情けなく感じた。まるでとっとと行けと言われているみたいだ。


「御幸に抱きつかれてるかもしれないし」
「あーいつものことっすよ」
「クリスに抱きついてるかもしれないし」
「それもいつも通り」
「降谷に告白されてるかも」
「それは…」
「ない、って言い切れないのが沢村ちゃんのすごいところだよ」


 うんうん、と何を悟ったのかよくわからないが増子は頷いている。
 とにかく好かれる。倉持からすれば迷惑なことこの上ないその性質は、しかしそれが沢村栄純なので仕方ないのかもしれない。そんな後輩を好きになってしまったのだからなおさらだ。
 はあ。
 大きくため息をつき、倉持はゲームの電源を切った。ぶちり、と思ったより大きな音が出て不快指数が増す。今日はいいスコアも出せなかったし、高い共有品じゃなかったらぶっ壊していたかもしれない。
 よろよろしながら立ち上がって振り向くと、同室の頼れる先輩は「それでいい」と言わんばかりに満足そうに微笑んでいた。ああどうしてこんなことがやたらと恥ずかしいのだろうかと誰にともなく心の中で悪態をつく。強いて挙げれば相手は沢村だ。


「行ってきやーす」
「ああ。ちゃんとエスコートしてくるんだぞ?」
「……増子さん、最近やり方が御幸ぽいっすよ?」


 ちらりと後ろを見ると、先輩は大きな身体を小さくして笑いを堪えているようだった。














 エアコンが効いている中より外が暑いのは当たり前だが、それにしても暑い。


 ――あのバカ、本当にぶっ倒れてやしないだろーな。


 普通ならそうなる前に涼しい所に避難するというのが当たり前だが、沢村の場合とんでもないことをしでかすので普通とか標準とかは当てはまらない。
 心の中で悪態をつきながら、自販機へ向かう。寮生が多いため自販機はいくつかあるが、一番近くてなおかつ倉持や増子の注文を満たすのは寮と校舎の間にあるものだった。行って帰ってくるだけなら数分で済むはずなのに、沢村はどこで道草を食っているというのか。
 寮の建物を回りこんで、自販機を見ると。


「…何やってんだ、アイツ」


 沢村は自販機とにらめっこをしていた。煌々と光るその表面に額がくっつかんばかりの距離で難しい顔をしながら首を傾げたり見比べたりしている。
 そんなに難しい注文をした覚えはない。炭酸にコーヒーで一体何を悩むと言うのか?自分の分を迷っているのかとも思ったが、そんなタイプじゃない。


 ――て、俺は何知ったふりしてんだ?


 はっとして頭を振った。
 たかが十分帰ってこなかったくらいで、自分は何をしているんだろう。別に相手は女の子じゃないのに。
 息を吐きかけ、やめた。踵を返し、増子に苦笑されることを承知で五号室へ――


「あ」


 後ろから声がした。
 この状況で他の誰と間違えるというのか。
 けれど次の言葉はなかなか聞こえてこない。訝しく思って振り向くと、沢村は倉持を前にして気まずそうに視線を外していた。遅くなったことは一応自覚しているらしい。


 ――オマエな。会いたくないならなんで声出すんだよ。


「倉持先輩」
「んだよ、おっせーな」


 なんとなく互いに微妙な空気を感じつつ、倉持は沢村のところへ歩み寄った。
 自販機を見るも、特に変わった様子はない。


「釣り銭出なかったのか?」
「や、そういうわけじゃないんすけど」


 本当にそうらしい。というか、よくよく見てみると沢村の手の中にジュースはなかった。


「じゃあどうしたんだよ?」
「ええ、と…コーヒーが、ちょっと…」
「はあ?コーヒー?」


 沢村の視線を追いかけると自販機の中並んで鎮座する二種類のコーヒー。
 まさかどっちにするか悩んでいたんじゃないだろうと眉間にしわを寄せると、沢村は顎に手を当ててわざとらしくうーんと唸った。似合わない。


「増子さん、最近ちょっと太り気味かもーって言ってたじゃないすか。じゃあこっちの無糖の方がいいと思うんすけど、甘い方が好きなのかなーって」
「……」


 それだけのことでこんなに時間をかけていたというのか。そしてこっちに余計な気を回させ、ゲームだっていいスコアじゃなかったし、先輩には笑われるし、ほんとに、もう。


「てめーんなことどーでもいいんだよっ!」
「いってー!?いきなりどうしたんすかっ、いてっ!」


 ジュースを持っていないのでこれ幸いと倉持は沢村に関節技をかける。手慣れたもので、逃げるすきなど与えない。身体が密着すれば暑いだろうにそんなことどうでもよくなっていた。


「増子さんが本気で気にし始めたら買いに行くとき言うだろーが。てか、そもそもお前に頼まねーな」
「ひでぇっ!?う…でも、確かに」
「ほれ、とっとと買え!」


 無理矢理技をかけられたかと思えば強引に引き剥がされて、よくわからないまま沢村はしぶしぶ自販機の前に立った。まずは増子のコーヒーを買い、次に倉持の炭酸を買い、そしてちょっと迷ってから自分の分のコーラを買う。


「うし!」


 しっかり声に出して達成感を味わう沢村の肩に、倉持は後ろから手をかけた。


「オイ」
「何すか?」
「なんだ、今の」
「へ?」


 沢村は何を言われているのかまるでわからない、と言う顔で倉持を見上げる。
 腕の中に抱えたジュースと倉持の顔を見比べて、首を傾げた。言われた通りのものを買ったのに、何か問題があっただろうか。というか、何か注文があるなら今言えばよかったのに。


「何で迷わねーんだよ」
「迷う…?」


 倉持の視線が沢村から外れる。この先輩にしては珍しい仕草に沢村はきょとんとした顔で驚いていた。
た ぶん倉持の中ではなかなか帰ってこなくてイラついていたのも、ゲームを邪魔されて機嫌が悪いのも事実だけれど、一番は。


「なんで増子さんのはそんなに考え込んで、俺のは即決なんだ、お前は!」
「え……あ…!」


 黒い目を大きく開くと、ぐしゃり、と頭を掴まれる。行動についていき反応する前にそのままぐしゃぐしゃかきまぜられて、沢村は缶を落としそうになる。なんとか持ちこたえるも、缶が半そでで露出した腕に直に触れ、ひやっと冷たい。


「わ、ちょ、倉持せんぱっ…!」
「とっとと戻るぞ、このバーカ」


 最後に頭をぐっと押されて呻くと、倉持は先に立って歩き出した。


 ――え、いまの、って。


 触れられた頭に手をやって。
 確かにそれは。確かにそれ、は。


 ――もしかして、ヤキモチ、とか、そういう…!?


 考えると顔が燃えるように熱くなった。持ったジュースが熱くなってしまうんじゃないだろうかと思うほどに。
 彼は自分を好きだと言ってくれたけれど、それ以外特に日々の生活で変わったことなんてない。それはちょっと物足りなく、でも野球をやっていれば、彼を視界に入れなければ済むこと。
 でも、付き合うっていうこと、は。


 ――ちゃんと、言ってくれんだ。ヤキモチ妬いてるって。


 前を歩く大好きな先輩の背中にこっそりと。聞こえないように小さな声で。





「そりゃ、好きな人の好みは、知ってますもん…」








 やっぱりこっそりと笑った倉持に、それは聞こえていたんだろうか。


















相互記念に<Triple Crown>のKO+様に捧げさせて頂きます!リクは「お互い意識してる初々しい倉沢」でした。


これは…ちゃんとリクに添えたのだろうか(悶々)。
倉沢をまともに書くのが初めてだったので緊張しましたです…!キャラがおかしかったらすみませんっ;
この二人はやっぱり増子さんの介入がないと一度は栄純が泣くくらいがいいと思います。勘違いとか勘違いで。そんで泣きたいのはこっちだって倉持先輩も思ってたらいいなあ。


こんなのですみません!不法投棄にならない程度に廃棄してやって下さい…!

相互ありがとうございましたーvこれからもどうぞよろしくお願いします!!!




08,5,3

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