これ、と言われたとき、正直言うと栄純は一瞬意味がわからなかった。
 同じクラスの女の子から渡された手紙はとても可愛らしい封筒で、心なしかピンク色がかった白で、その表面には送り先の名が記されていた。


「…え?」


 栄純は思わず目を擦りそうになった。そこには丸い文字で「降谷暁様」と書いてあったからだ。
 女の子は恥ずかしそうに顔を赤らめ、わかるでしょ、と言った。学級委員長も務める彼女のそんな顔を初めて見た栄純は目を白黒させた。


「え…降谷に?」


 少女は頷く。
 ここでわからないのは何故春市でなく自分に頼むのだろうということだった。春市の方がずっと降谷と仲が良いと栄純は勝手に思っている。


「名前、書いてないから」
「へえっ!?」


 別の方向に頭がいっていたため、上がった声は裏返ってしまった。


 ――名前?書かない?え?


 栄純が混乱していると、彼女は大きく嘆息した。伊達に同じクラスで過ごしてはいないから、栄純が如何に鈍いか、聡い彼女は知っていた。


「それ…ラブレターだからね?」
「ラブレター…ラブレター!?え、な、むぐっ!」
「静かにして!あーもう…」


 呆れて物も言えない、と彼女はまたため息をついたが、次に顔に浮かんでいたのは苦笑ともつかない微笑だった。


「沢村には悪いと思うんだけど、それを降谷くんに渡して、目の前で読んでもらって、それで、返事、聞いてきてほしいの」


 彼女は持ち前の委員長気質と栄純の理解力を考慮してゆっくり、順々に説明した。
 栄純は手紙をしげしげと見て、必死な顔の彼女を見て、これは何で他の奴に頼まないんだなんて聞いている場合ではないようだ、とようやく理解した。








 しかしラブレターを預かるなんて初めての経験だ。どうやって渡せばいいのか栄純は悩んだ。
 降谷とはクラスが違うからそんなによく会える訳ではなかったし、部室など野球部関連の場所で渡したら先輩達にいじられて、彼女も自分も可哀想である。 あらゆる意味で。
 春市に渡してもらおうとも思った。彼は自分より適切な方法で降谷に渡して、それが是でも否でもうまく立ち振る舞ってくれるに違いない。もしかしたら駄目で泣き出した彼女を慰めることだって容易いのかも。
 けれどこれは彼女が自分を信頼してくれたということで、栄純はその思いを大事にしたかった。
 返事はすぐではなくていいと彼女は言った。だから自分なりに考えて渡せば良かったのだろうが、いかんせん栄純は舞い上がりやすい性格で、真っ直ぐ一直線に過ぎた。というか、直感で動くことがあるのは否めなかった。
 部活に行く前に下駄箱に上履きを入れ、靴を取り出しながら栄純は思い出してしまったのだ。
 実家で幼なじみの若菜が読んでいた漫画によると、告白の基本は下駄箱に手紙である、と。
 よく考えればそれじゃ返事が聞けないだろうと気付きそうなものだったが、漫画の中の成功イメージしか持たない栄純は素早く隣りのクラスの下駄箱に視線を走らせた。そして見つけた。「降谷」の文字を。
 周りを見渡す。今日は掃除当番じゃなかったことに加え、依頼のことを考えていたらいつの間にか早足になっていたため、幸いほとんど誰もいない。何人かいないこともないが、下から二段目という低い位置にある降谷の下駄箱なら、しゃがんで作業すれば問題ないだろう。そう、たったの数秒だ。
 そうと決まれば吉日、栄純はぱっとしゃがみこむと自分の靴を置いてカバンから手紙を取り出し、降谷の下駄箱を開けて突っ込んだ。


 ――よし、任務完了!


 誠に晴れ晴れしい。返事を聞いてこいという指令をすっかり忘れた栄純は鼻唄さえ歌い出しそうになりながら靴を履いた。
 さて、ここいくつかで問題が生じた。そもそも恥ずかしいからといって名前を書かなかったら返事の出しようがない、ということ。それを何とか軌道修正できるはずだった栄純がフォローできない状況に自分を追い込んでしまった、ということ。


 ガタッ


 靴を履いていると、後ろでそんな音がした。誰かが下駄箱を開けたようだ。
 栄純は素早い行動に出て良かった、と思った。あと少し遅ければその誰かに見られたかもしれない。


 ガサガサ…


 紙の擦れるような音がやはり背後からした。栄純は靴ヒモがほどけそうになっているのに気付いて直した。


「これでよしっ…と」


 にっこり笑顔で立ち上がり、一歩踏み出した。


「ねえ」


 後ろから、声がした。
 栄純は反射的に振り返り――ぱか、と口を開けた。
 そこには降谷の姿があった。右手にはしっかり開いた件の手紙を持ち、じっと栄純を見つめている。
 栄純は驚き、そしてようやく彼女に「返事を聞いてくるように」と言われていたのを思い出した。


「あ…え、と…」


 しかし何と話を振ればいいのかわからず栄純が口ごもっていると、降谷が微笑を浮かべた。
 見たことのないほどの優しい、きれいな笑み。


「読んだよ」
「あ、ああ」


 主語がなくても手紙のことだとわかり、栄純は無意味に頷いた。
 もしかしたら意図せずに返事が聞けるかも、とほっと胸をなで下ろし、いつの間にかすぐ目の前に立っていた降谷に驚く。


「わっ!?な、なんだよっ」
「嬉しいよ」
「へ?そ、そうか…」


 そりゃお前ものすごく幸せそうだもん、という言葉を栄純は飲み込んだ。無駄に茶化して機嫌が悪くなって返事が変わる、とか有りそうじゃないか?降谷なら。
 そして今の言葉を委員長に伝えれば十分なのだろうか、と内心で首を傾げる。
 しかし杞憂は無駄のようだった。


「僕も、ずっと好きだったんだ」


 栄純はまたしても驚いた。
 静かな、けれど温かさがにじみ出る声。そんな声出せるんだ、と、まじまじと降谷の顔を見つめる。


「そっ、か」
「うん」
「そっかー…!」


 ああそんなに好きなのか、てか両想いってスゴいなあ、と栄純はおめでとうの意味も込めて微笑んだ。今日くらいは素直に祝ってやらなくては。
 そうと決まったら早く彼女に伝えたい。喜んでくれるだろうし、自分が役に立って嬉しいので仕事を完遂させたかった。


「じゃあ降谷、俺、」


 委員長に伝えてくる。
 そう言おうとして、同時に踵を返そうとした栄純の身体が、固まった。


「え」


 降谷がしっかりと抱きしめていた。栄純を。
 栄純は瞬間頭の中が真っ白になり、降谷って感動するとこんなことするのか、と思った。
 下駄箱にはいい加減人が集まり始め、野球部の一年エース候補がもう一人のエース候補を抱きしめているのを見て皆固まっていた。そのため廊下がごった返し、なんだなんだというざわめきが栄純の耳にも届いた。


「ちょっと、降谷、放せってば」
「何で?」
「や、何で、って言われても…」


 そういうことは好きな彼女にすればいい。きっと顔を真っ赤にして喜んでくれるに違いないのだ。
 けれど喜んでいる降谷を無理に引き離すのもなあと悠長なことを考えていると、聞きなれた声がした。


「んー?お前ら何やってん…」
「ヒャハ、また問題でも起こし…」


 廊下の群衆を押し退けて顔を出したのは御幸と倉持だったが、二人を見た瞬間石化し、次にいつもの小馬鹿にしたような表情が険しいものへと一変した。
 それを見てどうしたんすかー?と栄純が首を傾げた、そのとき。





「僕も、君が好きだよ。沢村」










 ――親愛なる降谷暁様


 単刀直入に言います。あなたのことが初めて見た時から好きでした。
 もし、あなたの野球の邪魔にならないんだったら、あなたの一番そばにいる権利をくれませんか?
 付き合って下さい。お願いします。
 忙しくてデートとかできなくてもいいです。こちらもたぶん、特に夏までは同じように忙しくて。
 返事はすぐに頂けると嬉しいです。


 あなたを、たぶん世界で一番好きな者より










 とにかく近い降谷の顔、唇に感じた感触、周りから巻き起こった大絶叫――
 すべてが頭と身体に行き届いて理解が終了してから、栄純は息を吸い、吐いて、また吸った。





「てっめえなにしやがんだ―――っ!!!?」





My Dear,
 降→沢




08,09,30