あっけないそれと、
「お兄さん」
柔らかく、弾んだ声音。
「お兄さん」
照れくささを全く感じさせない自然な口調。それが当たり前のように。
「お兄さん」
お前の兄貴じゃないだろうにと言っても、にっこり微笑むだけで。
沢村栄純は俺を、お兄さん、と呼ぶ。
食堂の光景はいつも通り。一定以上騒ぐと怒られるから一定までうるさい。はじめは慣れない一年もだんだんコツを掴んできて、その一定を覚える。
しかしあの少年はそれが覚えられないのか、それとも他に何か考えでもあるのだろうか、いつでもうるさい。
「降谷!俺のから揚げ取るなーっ!」
「取ってないけど」
「えぇっ!?じゃ、じゃあ春っち…!?」
「ぶっ…!?ち、違う違う!」
一年ルーキーたちは非常にうるさく微笑ましく食事をしている。その中心にいるのは栄純で、二人を巻き込んでぎゃあぎゃあ騒ぐ。
周りはそれを窘めるでもなく、まるで失ってしまった日々の現出を愛おしく眺めるかのごとく傍観を決め込んでいた。
亮介がトレーを持って伊佐敷や結城のそばに座ると、やはり彼らも口では今日の練習についてや次の練習試合について語り合っているものの、目が追いかけているのは栄純だった。
静かに手を合わせて食べ始める。彼らの方は見ない。見なくとも声が聞こえてくるので十分だった。
「春っち、次の登板誰だと思う?」
「君じゃないと思うけど」
「てめーにゃ聞いてねえっ!」
「あはは…栄純君、あれだけ走った後で、元気だね…」
大人しい弟には彼の元気さにはなかなかついていけないところもあるだろう。呆れたような、それでいて興味深いとでも言わんばかりの声が耳に届いた。
ぱくぱくと単調に食事を口に運び、咀嚼する。考えていることは明日の練習のこと、それから少しだけ授業のこと。
耳に届く。あいつら本当に仲いいよなあ。そう、誰かが呆れたように羨ましそうに言った。
「なあ春っち、」
高い嬉しそうな声。それまで聞いたことのなかったような、弟の呼称。
「うん、栄純君――」
それに対する弟の、穏やかな声。
(――ああ、なるほど)
亮介は一人頷き立ち上がった。
「早いじゃねえか、亮介」
「そうだな」
「お前達が遅いんだろ?」
にこり、と微笑んで見せると伊佐敷と結城は肩を竦めた。否定する気はないらしい。
トレーを持って立ち去る瞬間、視界の中央にいたのは栄純だった。
結論はこうやって、呆気なく心に収まる。それが常だ。
(――あの子の心には先に春市がいたから、「お兄さん」なんだね)
08/10/14