悲しい、わけではないのだ。だってそれは余りにも自分にとって当たり前になりすぎてしまった、ずっとずっと与えられ続けてきた言葉(あるいは事実であり真実)で、もう何がしかの感情を抱くことも難しい。
 ――けれど、そうなってしまった自分の心は確かに、悲しいものだと思う。




 天気予報では崩れるかもしれないと言っていたがそうでもなかった。鮮やかに照る朝日に、降谷は少し眼を眇めた。真夏のあの射るような光とは違うけれど、徐々に冷たくなってきた空気に晒されてから地面に降ってくるそれは、また違った明るさがある。清らか、と言う表現が似合う光だ。
 グラウンドの隅、ストレッチをしている見慣れた人影を見つけたので、おはよう、とその背に声をかけた。
 地面に座り込んだままの状態でくるりと相手が振り返る。頬が少しだけ赤くなっているのは、たぶん寒さのせいだろう。
「おう、はよ!」
 にこっと満面の笑みと共に、相手――沢村は挨拶を返す。数ヶ月前までは仏頂面でおう、と言う短い返事だけだったのに、大分変わったものだ。慣れたと言うか、もう一人の友人のルーキーに言わせれば、仲良くなったんだね、と言うことらしい。
「寒い?」
 ここで普通なら寒いね、と同意を求める発言をするべきなのだろうけれど、降谷はそう寒いと思わなかったし恐らく沢村もそうだと思ったので(出身地的に)あえて疑問符を付けてみた。沢村はそこのところの意図をきちんと汲み取ってくれたようで、「いいや」と首を振る。
「でも今年一番の寒さらしいぜ。雪降るかな」
「まだ無理じゃない?雹くらいならなるかもね」
 かもな、と沢村は立ち上がった。彼もこの半年少しで結構伸びたけれど、降谷も同じだけ伸びたので身長差は相変わらず頭一個を保持している(内心ほっとしているのは内緒だ)。
 数歩離れたところで降谷もストレッチを始める。もう引退した先輩がわざわざ組み立ててくれたそれは、寒くなってきたからきちんと準備運動をしろ、と言うお達しでもあった。
 ぐい、と身体を倒して上体を伸ばしていると、もうストレッチを終えた沢村が、いつもならすぐ走りこみに行くのにまだそこに立っていた。
「……なに?」
「ん、や」
 こくん、と首を傾げる。少しだけ伸びた前髪がさらりと揺れた。
「……お前さ。何か、あったか?」
「……、何、が」
 一瞬だけ呼吸が遅れたのは、今朝の寒さのせいだった。だんだんと近付いてくる季節。夏はまだグラウンドが使えて、少なくとも同じ場所でやれていたけれど、雪や霜でそこが使えなくなれば、降谷は本当にたった一人で練習をしなければならなかった。――誰も、彼と一緒に野球をしてくれる人なんて、いなかったから。
 沢村はん、と眉を寄せ、それから優しく――生まれたての子犬や子猫に触れるような手つきで、降谷の右手を握った。
「さわ、」
「あー……冷たいな」
 沢村の手は温かかった。君のが運動してるからでしょとも元から子供体温だからでしょとも、言おうとして止めた。
 彼は、降谷より一回りほど小さな、けれど整った美しい指の伸びる両手で、降谷の右手を包み込んだ。そしてそれを、何か――とても尊いものにするように、自身の額に、と、と押し付けた。
「だいじょーぶだぞ、ふるや」
「……なに、が」
 降谷の小さく震える声に、沢村は小さく口の端を上げた。優しい笑顔だった。――それが、降谷が自身でも気付かないうちに苦しんでるときにだけ彼が与えてくれるものだと、降谷はこの数ヶ月で知った。
「大丈夫だから。――一緒にやろうぜ、練習」
「――、」
 ひゅ、と息を飲み込んで、それからうん、と頷いた。沢村はよし!と手を離す。たちまちのうちに冷気が右手に触れるけれど、その右手は相変わらず温かかった。
「じゃあな、俺、先行ってるからな!来いよ!」
「……うん、すぐ行く」
「おし!」
 でもストレッチはちゃんとやれよーと言い残して、沢村は駆け出して行った。じ、と己の右手に視線を落とす。
 この学校に入って、ひと夏を越えて、大分強くなったつもりでいたし、実際成長したとは思う。けれど。
(まだ、君には敵わない、か)
 でも、それでも。だからこそ。






悔しいけれど君が好き











 空気読んだ第一弾。
 多分過去を思い出のって降谷には辛いことだと思ってますが、辛くなくなっても(それはそれで辛いことだけど)辛かった記憶が無くなるわけじゃなくそれを思い出すわけでそれで辛くなるんじゃないかなみたいな(うん?よく解らん)。
 
by“nichola”
081120
 






ゼニス・ブルーのさとう様のところでフリーになっていたので攫ってきてしまいましたv 降谷が栄純のことをとても好きで堪らないのが伝わってきてぶわーってなりました…(物書きにあるまじき感想…でも素敵なものに言葉はいらないんだよ!) 素敵なフリー小説、ありがとうございました!これからも応援しております!













08/11/21