「なんていうか」



 降谷の言葉に栄純は目を開ける。視界に入った自分の手の甲を、目を細めてよけながら。



「何だよ」



 ぶっきらぼうに言った自分の台詞が少しばかり震えているのに気付かなかったわけじゃない。
 それでも虚勢を張りたかった。
 降谷は今現在自分が置かれている状況を確認するように栄純をじぃ、と眺める。こういうの何て言うんだっけ、ああ、視姦?――とまあ、栄純が聞いたら本気で張り倒しそうなことを考えながら。
 もっとも、倒されているのは栄純の方だったが。



「なんていうか、さ」
「だから、何だよ?」
「なんていうか…その」



 栄純はちょっとイラついてきた。はっきりしない、というかそもそも何を考えているかよくわからないのが降谷という男だから今更だが、それにしたって人のことを押し倒しておいて動き出さないとは何事か、と思うわけだ。
 だからって動き出されても困った。多少なりとも抵抗すればいいのか、すんなり受け入れてやればいいのか。



「っていうかさ」



 降谷の言葉を受けて栄純が押し殺すようにして声を出した。さっきより震えは落ち着いている気がする。よし。



「お前、やり方わかんの?」



 男同士、ということ以前に栄純には「そういうこと」の知識があまりない。そりゃあコウノトリだのキャベツだのを信じているわけではないけれど。
 「それ」が何を始まりとしていて、何をもって終わるのかさえ、見当がつかなかった。



 ――えっと、たぶん…キスで始まるんだよな?たぶん…。



 降谷はきょとんと瞬きをすると、あぁ、と何でもないことのようにひとつ頷いて、



「ヤり方、ね」
「おう」
「たぶん、だいじょうぶ」



 何がだ!と栄純は思ったが、どうせそんなことだろうと思ってはいた。そうそう、それでこそ降谷だ、とさえ思う。



「なら、すれば?」
「いいの?」
「しないならどけよ」
「それでもいいけど」



 今度は栄純がきょとんとした。一応了解を取った上でこういう態勢なわけだから、それなりに溜まっているだとか、我慢の限界だとか思っていた。
 けれど降谷は平然と、やめてもいい、というようなことを口にする。それは一体どういうことなんだろうか?
 栄純はちょっと逡巡して答えにぶつかり――眉間にしわを寄せた。



「お前、俺がどう出るか試してんだろ」
「うん、あたり」
「あたり、じゃないッ!真面目にやれよ、真面目に!」



 めちゃくちゃなことを言っている自覚はあったが、それでも言わずにはいられない。
 よくわからないけれど、「こういうこと」ってもっと甘かったり苦かったり、辛かったり嬉しかったり、なんじゃないのか。今の自分たちの状態はそのどれからもかけ離れている気がする。
 栄純がため息をつくと、降谷は首を傾げた。



「どうかした?」
「…っていうか…知らねーもん…」



 なんだが馬鹿馬鹿しくなってきて顔を横へ倒す。ベッドはふかふかしていて、このまま寝てしまえばきっとすごく幸せだろうな、と栄純に思わせた。
 降谷はそんな栄純の顔を覗き込んで。



「寝ちゃう?」
「お前がこのまま何もしないなら寝る」
「……」



 降谷は顔を離した。栄純は、さっきのお返しとばかりに降谷の反応を伺ってみる。
 栄純としては別にどっちでもいい。したいわけじゃない。欲しいわけじゃない。
 だけど、昔から好意を寄せられることが特別好きな栄純は、彼がそれをくれるなら、もらってやってもいいと思う。
 だからつまり、それは。
 そういうこと。



「沢村」



 顔を横に向けたまま、栄純は降谷の声を聞く。



「うん」
「好きだよ」



 そっと掴まれる両手。投手の手だから硬くてマメやタコだらけで、お世辞にもドキッとなんてしなかった。
 ただ、ずっと心臓が痛くてしょうがない。
 栄純はゆっくりした動作で降谷を見上げた。彼の瞳は真剣で普段より色が濃く見えて、マウンドにいるときのようでいてまったく違っていた。



「…うん」



 栄純はもう一度、自分に言い聞かせるようにつぶやく。



「なあ降谷」
「なに?」
「今、俺、泣きそう?」



 降谷は少しだけ瞳を見開いてから、小さく頷く。



「ちょっと」



 そう言って栄純の額に唇を押しつけた。
 栄純の、無理してすごく頑張っているような、マウンド上のそれとは違う可愛い顔に、不器用ながらに微笑んで。



「だいじょうぶ」



 好きだという気持ちをわかってもらえて。同じように好きだと言ってもらえて。
 誤魔化し、誤魔化し、誤魔化して。
 やっぱりそろそろ、次に行きたいな、と。
 思ってしまう自分はひどく勝手で、傲慢で、悪魔みたいなのかもしれないけれど。



「やさしく、するから」



 落ち着かせようと思って言った自分の台詞が少しばかり震えているのに気付かなかったわけじゃない。
 それでも虚勢を張りたかった。
 栄純はそんな降谷の言葉に、いつものように綺麗に笑った。



「うん、がんばれ。さとる」



 降谷は目を細めて、栄純の唇に口づけた。