<ドガンキャッ!!>







空の薄ら青さが目に染みる。バカバカしい話だけれどそんなことを思う。確かに瞳は異常な澄み切り具合を見せ、悲しいかな涙は出ない。
本当は泣きたくてたまらない。しかし横に存在する男のせいで目は水分をたたえてくれないのだ。
阿部は横目で少し離れた位置に座る叶を見た。横目で見たのは相手に対する遠慮や配慮などからではなく、単に顔を向けるのが面倒だったからだ。叶に対して少しでも体力を使うのが惜しい。
叶は前を見ている。あのいけ好かないツリ目で真っ直ぐに。表情は大して読み取れない。無表情といえば無表情だし、何かを我慢している風だといえばそのように見えた。
阿部もやることがないので仕方なく前を見る。河原には犬の散歩をする老人や(遠くて性別はわからなかった)、野球の練習をする少年たちがいて自分たちとは関係なく幸せそうにしている。慰めてくれとは言わないが、せめてこちらの都合も考えてほしいよな、と叶は理不尽に考えて唇を噛んだ。
土手に座って、二人はすることもなくぼんやり前を見る。奇妙な二人の間隔と表情は実は傍目から見ると不思議なものだったが、たった一人のことしか頭にない二人はそのことに気づいていない。
驚いた顔の幼なじみがずっと残像として現れてきて、叶は先ほどのやりとりを延々リピートする。
さっき、叶と阿部は三橋に告白した。なんで互いの決心が同じ日にバッティングしてしまったのかはわからない。ただ雨よりは晴れの方が好ましく、仏滅より大安の方が望ましかったというだけだ。


――お、れ、二人のこと、すき…だっ!


「二人のこと」という部分は当の二人の頭の中で抹消される。目の前で好きな子が顔を真っ赤にして上目遣いで自分のことを好きだと言ってくれた、それだけでいっぱいいっぱいだ。いくら図太い神経で評判の阿部と叶もかなり緊張していたのだから仕方ないかもしれない。


――でもっ…トモダチと、して、で…


ふらふら視線をさ迷わせ始める三橋。こちらの方が普段の三橋廉に近いが、告白のときはさすがにやめてもらいたい、と思った瞬間、


――だから…ごごごめんなさいぃ―っ!



逃げられた。




「……」
「……」


すっころびそうになりながら駆けてゆく想い人の後ろ姿を見て、二人は固まるしかなかった。
そしてなんだか魂が抜けた状態になって、気付いたときには西浦高校近くの河原に来ていた、というわけである。


はあ。


同時にこぼしたため息に、同時に反応する。


「何だよ」
「お前が何なんだよ」


阿部の言葉が発せられるのを予期していたようなタイミングで叶が返す。恨みがましく阿部を睨みつける。


「そもそも…廉が好きだったのは俺なのに、何で今更、お前みたいな」


阿部は半眼で睨み返す。普段より三倍増しくらいでキツい視線はライバル相手なのだから仕方ない。
昔の男ってどこのドラマだよ。それも幼なじみとか馬鹿にしてんのか、と阿部は思うが、叶は至って真剣なのでむしろ拍子抜けする。


「俺はあいつを気持ちよくさせてやれる唯一の男だ。第一今更はお前の方だろ」


気持ちよく、という言葉の意味を測りかね、叶は怪訝そうに眉を歪めて阿部を見る。野良猫によそよそしく接されたときのようで阿部は気分がよくない。


「気持ちよく…?そういう勘違いが廉にとって迷惑なんだよ」
「あぁ?俺たちのことロクに知らないクセにいきがるんじゃねえよ」


俺たちのこと。その単語に叶は目を見開いた。ほんの少しの間離れていた間に一体何があったというのか。そりゃ自分と三橋の間にはいろいろあった。時系列で説明すると悲しくなってくるので嫌だが、幼い頃から中学時代まで過ごした時間の密度なら誰にも負けない。
なのにこのタレ目捕手はまるで三橋との間に切っても切れない強い絆があるように言う。廉に対してだけは従順な犬だってのか?何様のつもりだ?
でも廉はこいつのことをとても信頼しているのだ。それは西浦との練習試合で嫌というほどわかったし、否定をするつもりはない。あの卑屈で弱気でただのコントロールのよい投手でしかなかった廉にここまで自信をつけさせ、本当のエースにしたのはこの男の力だと、認めざるを得ない。それは同時に、無力だった自分の証明になる。
でも。だからといって。


――廉は誰にも渡さない。当然だ。


「別に。お前と廉との間に何があったって、俺には関係ない」


れん。当たり前に叶の口から出る名前に、阿部は小さく舌打ちした。優しく温かいその響きは、初めて聞いたときから妙に違和感を持って阿部には感じられ、気持ちが悪い。
悔しい、と言葉にしてしまえば簡単だが、明確にはそれとも違っている。
三橋と叶の間にあるものはかなりの重さや厚さをもち、「絆」という名を冠して存在する。三星時代に彼らのせいで三橋がいかに苦しんだか知っているけれど、そんなもの単なる知識や情報の域に過ぎない。叶と三橋がどれだけ互いを信頼して、大切にしているのか、わからないほど馬鹿じゃない。
しかし、それとこれとは別の話。


――三橋は誰にも渡さない。当たり前だ。


結局三橋廉は自分が幸せにしてみせる、という想いが二人の結論であるのだが、さっき三橋にしっかりフラれたことを思い出すとため息しか出てこない。涙はどうかと問われれば、前述した通りだ。ライバルの目の前で泣いてたまるか。
だいぶ長い間ここでこうしているはずだが、なぜだか日はなかなか落ちなかった。暗くなれば時間に後押しされて片方は近くの家に、片方は群馬に帰れるのだが、太陽は三橋を困らせた腹いせとばかりにぽかぽか照りつける。


かんっ


独特のいい音がして、何かが真っ直ぐに軌道を描き、空に上がった。
何かは逆光で一瞬判別がつかなかったが、いくらぼうっとしていても阿部と叶がそれが何だかわからないはずがない。
少しずつ大きくなってこちらにやってくる硬球を目で追いかける。思ったよりも小さな音を立て、阿部の近くの草むらに落ちた。数メートルもない。
続けて、とってー、という子どもの声が遠くから聞こえた。さっきから練習していた子どもたちだろう。ちらりと叶が目を向けると、その内何人かはこちらに向かおうとしていた。


「今投げてやっから、待ってろ!」


阿部はそう怒鳴ると(少なくとも叶にはそう聞こえた)体を起こし、草むらまで歩いていって土だらけのボールを拾い上げた。投げる前にボールの汚れをとってやるあたり、捕手の片鱗が見える。ぐ、っと肩を下げて上投げ、ボールは少年たちのもとへきれいに飛んでいった。


――ありがとー!


ため息をつきながら阿部は座り込む。叶がじっと見ていることに気づき、何なんだよ、と言ったがつまらなそうに、別に、と返された。阿部は怪訝な顔をする。
すると遠くから歓声のような悲鳴のような声が聞こえ、前を見た二人の目にまたボールが飛び込んできた。


「「え」」


二人の間の抜けた声と同時に今度は叶の近くに落ちる硬球。やわらかな草むらがなくむき出しの土に落ち、鈍い音を発した。土手の傾斜に逆らって止まる。
また、とってー、という声がした。あまり悪気がない声に、立ち上がった叶と座ったままの阿部はちょっとムッとした。子どもっていうのは時として能天気で他人のことを考えないで動くので嫌いだ。
しかし叶は阿部よりかは子ども好きだしガキ大将気質なので、細かいことを後に引かずにボールを投げた。投球フォームをつけたわけではなかったが、鋭い球が飛んでゆくのに投手なのだと思い知る。


「次は吹っ飛ばすなよー!」


手をメガホンにして叫んでやる。子どもたちはきゃあきゃあ言いながらまたお礼を言い、野球に興じ始めた。
息をつきながら座り込むと阿部が見ていることに気づく。何なんだよ、と言うと心底つまらなそうに、別に、と返された。
叶は首を傾げて、また前を見てそして、ああ、野球か、と合点がいく。
自分たちはどうしても野球がないと廉とはつながっていられない。こちらが野球よりも廉が大事だといくら言ってもわかってくれはしない。だって三橋廉にとっては野球が、投げることがすべてだから。


――野球と俺とどっちが大事なんだよ!…って聞いたら、あいつ、野球って言うんだろうな。


阿部は自分で考えておきながら自己嫌悪に陥りかける。ぐっと背中を折り曲げて両膝の間に頭を入れて、地面と睨み合い。なんて小さな男なんだろうと考えて情けなさが増す。
首を振らせないことなど簡単だ。だって三橋は自分に絶対逆らわない(叶が聞いたらキレそうだが)。だからといってそれを利用したくはないから、今日の告白だって「野球とは関係なく」という言葉を強調し続けた。しかし野球と勝負して勝てるはずがない。
阿部も叶も隣に座る大嫌いな男などではなく、野球に負けたのだとよくわかっていた。自分たちも野球を愛しているだけに対応に困る。でも、野球に対する好きと三橋廉を好きなのはまるでその質と幅が違うのだ。
追いかけてそう言えばよかった、とは思わない。三橋はただ混乱して泣いて――そうなれば自分がどれだけ伝えようとしても何も伝わらない。普段なら三橋の慰め役に栄口や泉がしゃしゃり出てくるのだが、話題が話題なだけに彼らの介入はなんとしてでも防ぎたかった。
でも三橋廉というヤツは野球と自分たちを同じ平面にしか置けない。かといってヤツから野球を取れば一生笑わなくなるだろう。そうまでして…と思って、それすらできない自分がやはり情けない。野球少年たちに昔の自分たちを重ねてみて叶はやるせなさが増した。
すると、また。
絶妙なうねりを伴いながら、汚いボールが飛んでくる。阿部と叶の間に、ボスっと謎の音を立てて落ちた。


「……」
「……」


ボールにやった目を少しそらすと互いに目が合った。
もしどちらも、またはどちらかが野球を揺るがすほどに三橋に好かれていたなら、取っ組み合いの喧嘩でもできたんだろうか。互いにあまりにも三橋の眼中にない時点で、この奇妙な空気が待っているのは自明だったけれど。
というか、三橋は男に告白されるということについてはどうだったんだ。今までこういうことがなかったから告白と言う事実に驚いていただけなのか、男同士に多少なりとも嫌悪感があったのかすら、謎である。廉のことだから何もわかってないはずだし。
同時に、何度目かわからないため息をつこうとしたとき。


「おーい!にーちゃんたち、ボールとってー!!」


またあの子どもたちだ。さすがに阿部も叶も苛々してくる。横目でいたいけな彼らを眺め、二人して嫌々立ち上がり――
と、子どもたちはおかしそうに、


「にーちゃんたち、さっきっからおんなじことしてるー!」
「仲いいねー!」


――は?


動きを止めて怪訝な顔をした叶と阿部にたたみかけて笑った。










「にーちゃんたち、コイビトどうしみたいー!」










一瞬何を言われたか、誰に向かって言われたか、よく理解できなかったが。
何かとてつもなく冷たい何かが、高校一年男子二人の中に駆け抜け。


「「……っ!!?」」


阿部隆也と叶修悟の周りにドス黒いオーラが発生した。三橋廉の前で見せたなら絶対脅えて逃げられるであろう――さっき告白したときと同じ反応ではあるが――そんな冷たい寒気のするような怒気。
彼らは拳を強く強く握って震わせた。歯をこれまた強く噛んで、息を大きく吸い、













「ふざけんなー!俺が好きなのは三橋廉だーっ!!」










世にも見事なハモリで、河原に向かって叫んだという。





Dog and cat!!








わけわかんない話ですみません。とりあえず三橋にフラれて微妙に黄昏る情けない阿部くんと叶くんが書きたかったんですすみません。でも個人的には気に入っている話だったり。
この二人でレンレンの取り合いは非常に萌えます。割と真面目に原作でやってくれると信じています。
読んで下さった方、ありがとうございました!



07,9,18

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